Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.4.18

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大塩の乱関係論文集目次


「未遂既遂の米騒動」

その7

三田村鳶魚

『お江戸の話』雄山閣出版 1924 所収

◇禁転載◇


幕府の対応政策

 天保八年の米価狂騰は、去る四年九月百文に六合といふ値段になつた以来、五年越しの難問題であつた、其の月二十八日、幸手に暴動を生じ、女芸者の大検挙が行はれた、十月には、市民に対して男五升女三升の給米が二度行はれ、五年正月の達文の内に、『身元相応のもの共、銘々心得を以、窮民を救候ため米麦雑囲置候者有之候はゞ、右は別段の儀に付、名前石数等、御料は御代官、私領は領主地頭に早々申立置候様可致候』とあるのは、天明の江戸町奉行初鹿野河内守の俤が見えるやうな気もする。

六年九月に鉄銭吹立を初め、十月には天保銭を発行したのは、銭価を下落させる仕事で、細民を救済するには禁物である、要するに五年越しの米価調節の為めの干渉政策は、成功して居ない、何時も殆ど成功しない米価調節は全く無用の労作であらうか、当面に成功しないでも、民怨を鎮める手段として、大いに干渉の必要を認める、さる意味に於ての干渉が、必ず何分か調節に効験のあるのも確実である。

天保四年十月兵庫の高田屋金兵衛の囲米禁止違犯を訐発して、その財産を没収した、中にも有金八百二十七万八千余両、有米九十二万四千五百四十七万俵と称せられた、この数量の正否は別として、その莫大な数が世間を驚かした。

事は小さいが七年五月に浅草猿屋町の札差松屋佐吉が隠居の定吉、弟の長之助文之助と、南本所の別宅で月次能(つきなみのう)を遣つたので、札差株及び別宅を没収された上に手鎖(てじやう)の処分を受け、天王町の札差伊勢屋嘉兵衛が座敷能を遣り、忰の嘉十郎が大名の真似をして、近郊へ出て鷹を遣つたので同様に処分され、深川の肥料問屋須原三九郎、和泉町の砂糖問屋河内孫左衛門、日本橋一丁目の書林須原屋茂兵衛、今日ならば紳商という輩が、松屋と贅を競ひ、上方楽人東儀左兵衛の名で神田お玉ケ池へ舞楽稽古所を拵えたのが露顕し、天王町の札差伊勢屋忠兵衛、隠居清左衛門が驕奢罪で入牢し、同罪の札差伊勢屋伊兵衛が検挙を怖れて縊死し、近江屋佐平次、坂倉屋七郎兵衛が出奔した、この大小の制裁及び七年十二月鹿島屋利右衛門、越後屋又右衛門、白木屋彦太郎、大丸屋正右衛門、小津清左衛門等廿七人が五万四千両、蔵前札差廿三人が五万両即納、残五万両は明年より一万両づゝ五年賦に御救御入用金の中へ差し出した、その上に札差十五人を特に指定して八年三月に三万両の御用金を申し付けた。

天保の江戸の地持家持町人は四年に於て、七八年に於て、自分の借家人や出入の者、同町の居住者に救賑をして居る、却つて暴富大賈の輩は知らず顔に打過ぎ、四囲の情況に拠なく、特(こと)に当局の誅求に逢つて、始めて御用金を上納する様子は、『死んだならたつた一分と云ふだらう、生きて居たらば百も貸すまい』と、辞世を残した放蕩男にザマを見ろと云はれないであらうか。

天保の女芸者は、大正の自動車と同程度に民怨の標的であつた、上納金の連中に呉服屋が多い、寛文以後の江戸では布帛(ふはく)の売買が米に継いでの商い高であつた。水野越前守が店頭に長暖廉を懸けさせた意味は何であらう、中流の婦人が万引を働くのは、何年前からの話であらう。

糶糴(じゆつてき)の商権を握り市価 を左右するのは、米問屋・蔵屋札差で、江戸では札差が 驕奢であつたから、最も嫉視された、幕府が御用金を誅 求したのは、方所を得て居る。

七年の末に銭相場を引き上げた故に、厳しく物価の引下げを命じた、二八十六文の蕎麦は三五の十五文と改められ、湯銭の十文も九文にしたがこれは従来十文と看板に書かれて、誰も八文しか持つて往かぬ、今度九文になつて九文正しく取られるので、看板が一文下つて実際には一文高くなつた奇談もある。

四七八年には、行倒れや捨子が多かつた、それでも各所の祭礼開帳は賑はしい、蒔絵の木櫛一枚で一両するのを髪飾りにした婦女も多い、更紗ごろふくれんの流行、前に掲げた厄払の戯文を見れば、餓(みち)に横つた時世とも思はれない抔と、迂潤な人は云ひもしよう。東海中山二道の人足は此際七割増と定められたのが目に立つ。けれども米の騰貴率とは大分遠距難である。今日の狂騰相場は凶作に由来するのでないから、米穀融通を策すれば宜しい、昔は軍用米でも諸大名は幕命に従つて提供したが、民間の米は今でなくとも其の手では動かぬ、何が故に政府は銀行業者を制止しないのであらう。資金を搾るのを忘れたのであらう。

 天保度の如き惨状にならない、行倒れが未だないとは云へ、凶作でない饑饉は、比較的状況がよくても、民怨は甚だ深く頗る大きい、資本家が節制することを知らず、政府がそれを処置することをしないならば、如何なる因縁因果を見るのであらうか。我等は日本書紀を案上に置き、謹しんで有情成熟品を誦しながら、堂島市場、今の米穀取引所の效験と、天明の騒動とを説いて、結論を読者の判断に求めようと思ふ。


事々録3


「未遂既遂の米騒動」目次/その6/その8

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