Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.7.4

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大塩の乱関係論文集目次


「天満水滸伝」

その1

三田村鳶魚

『芝居のうらおもて』玄文社 1920 所収

◇禁転載◇


 大塩の暴動は「天満水滸伝」といつて、講釈師も読めば実録体小説にも拵へられて、高潔な役人の義憤によつて成つたものゝ如く思はれて居る。人口に膾炙した事件だけに、一挙の模様はよく世間に知られ、正確な史料も概ね蒐集されて居る、特に輓今(べんきん)幸田成友氏の『大塩平八郎』出でゝ、事の本末は一層説尽されて、我等が少年の時に耽読した、いたづら老爺島本仲道の『青 天霹靂史』の余煽を全く脱却して了へた。それに十年已前から、近世の学者の中で最も嫌悪する人が三個出来た。すなわち藤田与助幽谷・頼久太郎山陽・大塩平八郎中斎である、学風からみて擯斥(ひんせき)するので、単に愛憎から来たのではないが、情として公平を期し難い。幸いに幸田氏の著書は左様な機嫌がないから、同氏の所説に遵つてお話を進める。

 平八の暴動に関するものは珍しいのがない。大概のものはすでに世間に知られて居るが、唯加治木常樹氏の寄示された、薩藩大阪邸の留守居早崎次郎左衛門(後に七左衛門といふ大久保利通の岳父)から、江戸藩邸の毛利理右衛門・四本(よつもと)勘左衛門・新納次兵衛へ宛てた天保八年三月八日付の手書は、暴動のあつた二月十九日を去る二旬余の記述でもあり、相応の知識を備えた士人の文筆でもあるから、先づこれを掲出してこの説話の端緒を開くことにする。


島本仲道『青天霹靂史


「天満水滸伝」目次/その2

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