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死生観 太虚は吾人の本体である。吾人の方寸にして私欲のため蔽はるゝ
ことなければ、吾人は太虚に帰することが出来る。太虚は常住不滅である。
吾人にして太虚に帰するを得ば、吾人も亦不生不滅の域に入るものである。
「太虚なり、気なり、万物なり、道なり、神なり、皆一物にして、而して聚
散の殊なるのみ。要するに太虚の変化に帰するなり。故に人神を存して以て
性を尽せば、則ち散じて死すと雖も、其の方寸の虚は太虚と混一して同流、
朽ちず亡びず、人如し虚を失はずして、こゝに至れば、亦大なり、盛なり。」
と言つて居る。即ち中斎の説によれば、私欲を払つて太虚に帰すれば、人は
不死不生の境界に入り、如何なる危難も畏るゝに足らぬ確然不動の状態を持
することが出来ると云ふのである。
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