Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.11.25

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「大塩の乱関係論文集」目次


『日本倫理学史』(抄)その7

三浦藤作 中興館 1943

◇禁転載◇

第三篇 近世  第四章 徳川時代の諸学派
  第二 陽明学派
   第六節 大塩中斎(7)
管理人註
  

  ● ● ●  死生観 太虚は吾人の本体である。吾人の方寸にして私欲のため蔽はるゝ ことなければ、吾人は太虚に帰することが出来る。太虚は常住不滅である。 吾人にして太虚に帰するを得ば、吾人も亦不生不滅の域に入るものである。 「太虚なり、気なり、万物なり、道なり、神なり、皆一物にして、而して聚 散の殊なるのみ。要するに太虚の変化に帰するなり。故に人神を存して以て 性を尽せば、則ち散じて死すと雖も、其の方寸の虚は太虚と混一して同流、 朽ちず亡びず、人如し虚を失はずして、こゝに至れば、亦大なり、盛なり。」 と言つて居る。即ち中斎の説によれば、私欲を払つて太虚に帰すれば、人は 不死不生の境界に入り、如何なる危難も畏るゝに足らぬ確然不動の状態を持 することが出来ると云ふのである。


井上哲次郎
「大塩中斎」
その26


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