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人性論 中斎の説によれば、人はみな良知を有して居る。従つて人性は善
である。人性はもと善であるが、人には躯殻があり、躯殻には気質を生じ、
気質は私欲を生じ、私欲が本性の善を蔽ふ所に悪が存するものとした。「良
知各々具備す、地中の水の如く、あらざるなし。これを致すの難きこと、逆
水の舟の如し、惰なければ則ち退いて進まず、筍子これを致すの難きを覩て、
遂に性悪といふ。孟子あらざるなきを見て、断じて性善と云ふ。夫れこれを
致すこと難しと雖も、然れどもあらざることなければ、則ち本来の性、固よ
り善なるのみ。故に性善の説万世に冠たり。確乎としてそれ易ふべからざる
なり。」と言ひ、「水性もと寒し、火其の下にあれば、則ち沸々然化して湯
となり了はる。其の時に当りて、水ありと雖も、寒は絶えてなきなり。人性
もと善なり。物其の外に誘はるれば、則ち 々然化して悪となり了はる。其
の時に当りて、人存すと雖も、善或はなきなり。然れども其の火を去れば、
則ち寒復た依然たり。其の物を拒げば、則ち善亦現存す。若し火を去ること
早からざれば、則ち焦枯して水性と倶に滅す。物を拒むこと厳ならざれば、
則ち壊乱して人性と倶に亡ぶ。これ当然の理なり。」と言つて居る。
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井上哲次郎
「大塩中斎」
その25
『洗心洞箚記』(本文)
その90
『洗心洞箚記』(本文)
その122
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