Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.4.1

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大塩の乱関係論文集目次


「宇津木静区と九霞楼」

その6

森 繁夫

『人物百談』三宅書店 1943 より

◇禁転載◇


かく陶渓所記(波夢野習午氏示職)の如く、渙卿文事を好み、風流に富み、財力の裕なるに任せて、居を整ヘ、客を愛し博く天下の雅人墨客と交遊し、荐りに其墨蹟を懇望して之を歓賞した、其料紙を発送するに竹筒を用ゐ、家人戯れに、文事を目して竹筒と為すと云つた、などは頗る輿味ある実譚であり、一度揮毫を請うて之を得ざれば再に至り三に至り、必得て後已む、といふに至つては、其執着の程想像に難からず、所謂好事家の代表的なるものといふべき歟、

其居九霞楼は須崎町に所在し、楼に近く海水漂ひ、人家粗にして喧囂の巷に隔り、東面せる帯江楼と相対して西面し、共に風色の佳絶を競うた、渙卿此楼に住し其伊予灘に沿ひたる勝地を選び、之を九霞楼十二景と称した。

渙卿此九霞楼及び十二景を、自ら図して之に説明を加ヘ、礼を厚くし、四方の名家に吟詠を請うて楽んだ、頼春風、杏坪、田能村竹田等は親しく来訪し、就中竹田の如きは淹留久しきに亘り、関西第一の勝地なりと激賞し、其他名家の之に臨まざるも、詩文を寄贈せるもの幾んど数無きの態であつた。


「宇津木静区と九霞楼」目次/その5/その7

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