森 繁夫 『人物百談』三宅書店 1943 より
◇禁転載◇
かく陶渓所記(波夢野習午氏示職)の如く、渙卿文事を好み、風流に富み、財力の裕なるに任せて、居を整ヘ、客を愛し博く天下の雅人墨客と交遊し、荐りに其墨蹟を懇望して之を歓賞した、其料紙を発送するに竹筒を用ゐ、家人戯れに、文事を目して竹筒と為すと云つた、などは頗る輿味ある実譚であり、一度揮毫を請うて之を得ざれば再に至り三に至り、必得て後已む、といふに至つては、其執着の程想像に難からず、所謂好事家の代表的なるものといふべき歟、
其居九霞楼は須崎町に所在し、楼に近く海水漂ひ、人家粗にして喧囂の巷に隔り、東面せる帯江楼と相対して西面し、共に風色の佳絶を競うた、渙卿此楼に住し其伊予灘に沿ひたる勝地を選び、之を九霞楼十二景と称した。
馬含古城(又馬衙といふ)。現在の轡山を指すもの歟 洲崎帰撓。洲崎町海岸なりしことを知るに足るべし 八城軽雲。大島郡八代を指す歟 水門仙祠。港に次ぐ堀川に、神祠あるを指すもの歟 霞室夕
。大島郡家室歟 蒼島風濤。三津沖青島 御盥残月。興居(ゴゴ)島の御手洗 母居朝暾。ゴゴ島古は母居島といへり 小松塩田。現在の女子師範校附近 清水
花。さる名所ありし歟 査嶼親魚。轡山附近に洲あり、干潮の際に見ゆ 豊山杳靄。遥に豊前、豊後の山をいふ歟
渙卿此九霞楼及び十二景を、自ら図して之に説明を加ヘ、礼を厚くし、四方の名家に吟詠を請うて楽んだ、頼春風、杏坪、田能村竹田等は親しく来訪し、就中竹田の如きは淹留久しきに亘り、関西第一の勝地なりと激賞し、其他名家の之に臨まざるも、詩文を寄贈せるもの幾んど数無きの態であつた。
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