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大塩平八郎ハ生れながら凡ならず、容貌け高く、しかも重瞳なりければ、
父ハ大に悦びて、是れ我が家を起すべきものにして、此小児成長の後ハ、
忠ハ本多の君にあやかるやうとて、平八郎と名附けつゝ、寵愛して育つる
に、三四歳の頃より、其智衆に秀で、万を知るの才あり、八九歳の頃にハ、
大人も及ばざる程に、学問を好みて、和漢の書籍に眼をさらし、又閑暇の
折ハ、武術を学ばしむるに、其奥妙を極めずといふ事なし、近隣こぞりて、
平八郎が奇才を感じあへり、
十四五歳にいたりてハ、学業追々に進み、京大坂には、さして師と頼むべ
き、博学の大儒もなけれバ、江戸の儒官林大学頭ハ博学広才の聞えあれば、
何にとぞ林家の門に入りて勤学せんと、ひたすら、父に願ひしかバ、父も
其意に任せつゝ、江戸表の親類に、林家へ親しく出入するものあれば、彼
が方へ頼みの一書を認め、一僕にゆだねて吾妻の空へと旅立せけり、
偖も大塩平八郎ハ、父母に別れて、遥々と吾妻へ下る道すがら、此所や彼
所の名所旧跡を見物し、憂き旅もはじめてハ、いと詠めある心地して、一
人の僕をバ便りに、行きて水口の宿に旅寝しけり、然るに昼程途中より道
連れと成りし旅人あり、是れも東へ下るよしにて、東海道も数度往来せし
とて、爰かしこ立ち寄り、旧跡などねんごろに教へ、道々の咄しも興ある
事なれバ、平八郎好き道連れの出来しと悦びて、今宵ハ爰に同宿せり、
明くれば爰を立ち出で、程なく鈴鹿の山にとさしかゝれり、抑々此山は、
往昔、鬼賊の住居して、多くの人を悩したるに、田村将軍退治し給ひし旧
跡とか云ひ伝へて、今田村大明神と崇め祀りて、四時の祭壇おこたらず、
樹木深々として昼だに薄暗く、物凄き深山なり、然るに召し連れし僕の誤
ちて、跡なる旅籠屋へ風呂敷包みを忘れたりければ、暫時のいとまを給は
るべし、峠を越えて、前なる宿のたてばにて待ち給はゞ、程なく追附き申
さんと、旅人に頼みて、足早に跡なる宿へと引き返せり、
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中原貞七は
成立学舎(黒岩
涙香・夏目漱石・
新渡戸稲造など
が在籍)の校主
重瞳
(ちょうどう)
一つの眼球に二
つの瞳孔がある
眼
『天満水滸伝』
その3
詠(なが)め
田村将軍
坂上田村麻呂、
鬼退治譚が各
地にある
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