Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.12.5/2017.11.29最新

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎の話」
その1

中原貞七編

『高等読本 巻1』文学社 1867 所収

◇禁転載◇

第十三課 大塩平八郎の話(一)管理人註
  

大塩平八郎ハ生れながら凡ならず、容貌け高く、しかも重瞳なりければ、 父ハ大に悦びて、是れ我が家を起すべきものにして、此小児成長の後ハ、 忠ハ本多の君にあやかるやうとて、平八郎と名附けつゝ、寵愛して育つる に、三四歳の頃より、其智衆に秀で、万を知るの才あり、八九歳の頃にハ、 大人も及ばざる程に、学問を好みて、和漢の書籍に眼をさらし、又閑暇の 折ハ、武術を学ばしむるに、其奥妙を極めずといふ事なし、近隣こぞりて、 平八郎が奇才を感じあへり、 十四五歳にいたりてハ、学業追々に進み、京大坂には、さして師と頼むべ き、博学の大儒もなけれバ、江戸の儒官林大学頭ハ博学広才の聞えあれば、 何にとぞ林家の門に入りて勤学せんと、ひたすら、父に願ひしかバ、父も 其意に任せつゝ、江戸表の親類に、林家へ親しく出入するものあれば、彼 が方へ頼みの一書を認め、一僕にゆだねて吾妻の空へと旅立せけり、 偖も大塩平八郎ハ、父母に別れて、遥々と吾妻へ下る道すがら、此所や彼 所の名所旧跡を見物し、憂き旅もはじめてハ、いと詠めある心地して、一 人の僕をバ便りに、行きて水口の宿に旅寝しけり、然るに昼程途中より道 連れと成りし旅人あり、是れも東へ下るよしにて、東海道も数度往来せし とて、爰かしこ立ち寄り、旧跡などねんごろに教へ、道々の咄しも興ある 事なれバ、平八郎好き道連れの出来しと悦びて、今宵ハ爰に同宿せり、 明くれば爰を立ち出で、程なく鈴鹿の山にとさしかゝれり、抑々此山は、 往昔、鬼賊の住居して、多くの人を悩したるに、田村将軍退治し給ひし旧 跡とか云ひ伝へて、今田村大明神と崇め祀りて、四時の祭壇おこたらず、 樹木深々として昼だに薄暗く、物凄き深山なり、然るに召し連れし僕の誤 ちて、跡なる旅籠屋へ風呂敷包みを忘れたりければ、暫時のいとまを給は るべし、峠を越えて、前なる宿のたてばにて待ち給はゞ、程なく追附き申 さんと、旅人に頼みて、足早に跡なる宿へと引き返せり、

中原貞七は
成立学舎(黒岩
涙香・夏目漱石・
新渡戸稲造など
が在籍)の校主

重瞳
(ちょうどう)
一つの眼球に二
つの瞳孔がある
眼

『天満水滸伝』
その3

















詠(なが)め










田村将軍
坂上田村麻呂、
鬼退治譚が各
地にある


「大塩平八郎の話」その2

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