Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.5.4

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩中斎を憶ふ」その6

中野正剛(1886−1942)

『現実を直視して』善文社 1921 より

◇禁転載◇

 果然人民の痛苦を見て、一身の痛苦となせし中斎が大虚の心霊は、是に奸商俗吏の邪悪を見て、心中の不善を責むるより急切なる激動を生じ、奔騰して止まざるの勢を激成せしなり。中斎の主願は人民を救ふに在り、併も手段を尽して皆成らず、最後に至りて暴挙に訴へて主願に殉ずるに至る。抑々斯くの如くする所を以て、救済の目的を達せんとすること、果して智を尽せるや否や知るべからず、大阪の市街、兵火に罹る者四分の一、一部の窮民は散乱せる金穀を収めたれども、多数の人民は饑餓の難に加ふるに、祝融の災を以てするに至れり、然れども至誠は往々にして、打算の外に超越す、天地を燬き尽すの大熱情は、死に至らざれば休止せず。彼の西郷南洲が、笑て残骸を擲て子弟に報ずと称し、身朝敵となりて城山の露と消ゆるを辞せざりしが如き、確かに大塩中斎と其心事を一にせり。王陽明は曰へり、

と。陽明の説を以てすれば、知は行を併せて始めて全く、行はざれば未だ知れりと謂ふべからず。中斎は既に人民の窮困を知れり、知れるが故に之を救済せざれば、誠を尽せりと謂ふべからず。中斎が人民の窮困を目撃せるの刹那、彼は死を賭して之を救済するの運命に逢着せるなり。若し夫れ世の所謂慈善家の如く、我は是れ迄尽力し、斯々の苦労を忍びたり、而も遂に目的を達する能はざるは天なりと称し、中途にして抛棄せば、陽明学に忠なりとは謂ふべからず。若し夫れ斃れて已むの決心なくして誠意を云々し得べくんば、誠なる楽天地は、怠惰者と遁辞家との安宅と化し去るべし。彼の西郷南洲が征韓論を以て進退を賭したる、大塩中斎が人民救済に徹底せんとして、叛逆の徒となれる、何れも已むに已み難き至誠の発露なり。嗚呼血性男児にして姚江の学に志す者、何人か南洲の如からざる、何人か中斎の侶たらざる。至誠なること中斎の如きに至りて、足を挙ぐれば尽く王道と称するの境涯に逍遥すべく、吾人は容易に順逆の故を以て、其人を是非するの料となす可らざるなり。

 然れども吾人は決して乱徒を称揚するに非ず、唯其心術を論ずるなり、今の時、其心術より推して、其乱行を神聖化するに足る者幾人ありや。中斎が乱を企つるに至るまで、幾度か学問に鑑み、幾度か手段を尽し、煩悶懊悩の結果、遂に最後の決心をなせしものとすれば、其心事も亦悲しからずや。彼れは後世より論じて社会主義的色彩を帯ぶと称せらる。然れども今の時に於て社会主義の是非は既に問題とならず、所謂国家社会主義なるものは列強の漸く採用する所にして、社会問題を閑却するが如き愛国者は、到底今日の世に存在す可らず。


「大塩中斎を憶ふ」目次/その5/その7

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