Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.1.25

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩事件・天保改革と 住友の〃家政改革〃

―〃家宰〃鷹藁源兵衛を中心に―」

その15

中瀬寿一

大塩研究 第15号』1983.4 より転載

◇禁転載◇

五、源兵衛の画期的な「家」制度改革案
   ―幕府の政策転換と純益増を背景に(一八四四年)― (3 )

 この源兵衛の大胆かつ率直な、泉屋住友の封建的な「家」制度に対する改革意見書によれば、

@店方を以前通り締切り、本場へ集まり、吟味方が勘定庭、家賃方も買物方、台所方も書翰方をそれぞれ兼任することとし、店三間の処を二間に「諸役庭」を集め、「西ノ一間丈ハ旦那様方御詰被遊」、家長みずからが指図されること、

A東堀は本家へ同居し、「東座敷へ旦那様御夫妻」が移れば雑費も滅り、「余分の人数不召抱共宜候」、

B「栄之助(友尚。のち友益家へ養子入り)様は最早西へ」移られること、

C豊後町店は「一旦休店」とし、江戸の中橋店も同様で、喜十郎をよび評議されたいこと、

D東堀宅は借家として貸すか、売払って「急場の御融通」にあてること、

E「御妾宅」を取払うこと、とくに「当家は御子様方沢山被為在候故、御妾腹無之共御家継ニハ御不自由無御座候」「又々御身代立直り候節ハ如何様とも相成可申事」、

F網島の別荘は不用につき売払うこと、

G 京都木屋町はじめその他の御抱屋敷も売払い、由緒のある嵯峨の地も借地ゆえ、返却されること、

H親類懇意先との付合いや音信贈答、

I仏事などもひきしめ、

J主従腹蔵なくうちとけて相談できるよう配慮すること、

K普請・修繕も辛抱し、なるべく出入方下男だけで間にあわすこと、

L他の町家にくらべ、人手も多く、手代・子供・下男などをつれて外出されることが多いが、これも手軽にされること、

Mお茶・遊芸なども質素にすること、

N日々の酒宴のときも多勢でにぎやかにされず、「只御内間丈にて質素に」楽しまれること、そうでなければ、歎願中の「妨害にも相成候」こと、

さらに

Oその席上で「家事其外内外の御咄」などされないこと、

P親子・兄弟もっと仲むつまじくされたいこと、「自然と御隔意有之様相見ヘ、誠に家来の身にてハ歎」かわしく思われること、

Qもはや「借入も相手無之」、このさい、「御所持の道具類にても御売払」い、「急場の手当」にするよりほかないこと、

Rよく話をきき、「御熟談」されたいこと、

その他が、源兵衛によって熱意をこめて忠言されたのであった。そしていまや「御一家危急の場合」であり、「是迄の儘にてハ忽御家断絶」の危機だと、くりかえし当主友聞に訴え、「今日の姿にてハ頭役を厭ひ、f級を迷惑に存候有様にて、誠以歎敷次第」で、「度々御倹約被仰付候共、唯御口癖の様ニ相成、真実の御倹約ハ行れ不申候」と憂慮したのであった。こうして源兵衛はさいごに「是迄御親類別家中へ一応も御相談無之ハ如何之思召ニ候哉」として、あえて親類別家との評議をつよく要望して筆をおいているのである。

 おそらくこれは、幕末における町人資本、とくに特権的門閥町人、商業高利貸資本かつ大地主であるとともに鉱山銅吹製錬マニュでもあった泉屋住友の、封建的な「家」制度に対する、改革と革新をせまる、まことに画期的なものであった、といえるのではなかろうか。こうした改革プランが、三井はもちろん鴻池や天王寺屋・平野屋その他各地の豪商の間でも大なり小なりあったと考えられるが、そこにはどういう異同があったのか、また桐生その他の織物マニュファクチュアではどんな特徴があったのか、ぜひ国際的かつ比較史的に明らかにする必要があろう(三井の場合、天保一三年の「申渡覚」において、同族費の切下げその他が、三井礼子氏により明らかにされ、きわめて興味深いが、こうした〃家宰〃による改革への動きはまだ明らかにされていないようである)。

 その後源兵衛は病気で引きこもり出勤しなかったが、ある日、佐右衛門・豊助・覚兵衛らが源兵衛宅に集まって内談したところによると、源兵衛の意見書提出後、「俄ニ内聞倹約厳敷ク、殊ノ外家内召使ヲ責付ケラレ、肝心ノ店方勘定ニハ御心付無之、只瑣細ノ事ノミニ気ヲ付ケラレ、当主御自分ハ酒宴ニ耽り、去九日(注、九月)酒宴ニモ多人数召集メ高声ニ悪口雑言等モ之アル次第ニテ、迚モ一日勤務ニ堪へ難ク、此末如何可致哉、何分一応出勤致シ呉レ」とのことで、九月一六日には源兵衛が再び出勤し、当主友聞にあってあらためて意見を具申するにいたった。

 そして、源兵衛は隠居願を差出し、当主友聞にも隠居をすすめたが、一向に「心付無之」、ついに源兵衛は一〇月一八日、意を決して「十分ノ諌言ヲ致シ、弥御改心無之上ハ断然退身ト決心シ、支配方マテ二通ノ書面ヲ差出」した。すると、友聞がついに自筆で「家事改革ニ決心ノ旨、奥書ニテ支配方へ下付セラレ、且ツ源兵衛ノ意見ヲ諮問」されるはこびとなった。なお、このとき源兵衛が具申した家制度改革の要項は次のとおりである−。


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