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大塩の乱関係論文集目次
中瀬寿一
『大塩研究 第15号』1983.4 より転載
◇禁転載◇
ところが、翌一八四六(弘化三)年には、はやくも「支配人ハ安堵シテ主君ニハ酒色ヲ勤メ、自分等モ妾宅ヲ置キ、家事相談ニ托シ、芸妓ヲ召ヒ、遊興日ニ盛」んとなった。ここにおいて、同年三月、鷹藁源兵衛は隠居中の身でありながら憂慮にたえず、退隠中の前当主友聞に歎願書を提出し、「主家ノ危キ事旦夕ニ迫レリ」「最早黙止カタク」、この事態を訴えるとともに、次のとおり退隠の〃真相〃についてもあらためて問題提起したのであった(『垂裕明鑑』巻之二十一――。