平八郎の此陰謀計画や、二月始めより之を企画せらる、此時実に洗心洞
学堂は、一の参謀本部として使用せられ、終に一大陣営と為る、当初平
八郎の謀る所は、将に四月十七日、東照宮の祭日を以て之を発せんとす
るにあり、是れ他なし、当日は城代土井大炊頭利位、東町奉行跡部山城
守良弼、西町奉行堀伊賀守利堅が建国寺に参詣するの時を俟て、其不意
を襲ひ、俗吏の巨魁を挙げて、一時に鏖殺せんとするものにして、巧み
得て妙なり、然れども大衆を指揮するの企画陰謀、此の如きの早きに定
む、其発覚せざらんを望むも、豈に其れ得べけんや、其間自然事の露洩
すべきは蓋し免るべからざるの理数なり、 |