偶々二月十八日、党中変心する者あり、以て平八等の謀図を官に密告す
る者あり、即夜、平八郎之を知り、然らば事寸も猶予すべからず、蕨然
事を挙ぐべしと、翌十九日早朝、発す、其将に発せんとするや、平八門
下の一人傑宇津木矩之丞なる者、理を陳じて強諌す、平八郎、甚だ之を
惜むと雖ども事の前の障害なり、孔明、涙を流して馬稷を斬るは、其れ
此時にありと、部下の士に命じて之を殺さしむ、噫無惨や、鎗玉に掛け
て一軍門出の血祭と為し、先づ隣国に『天誅』の檄文を飛ばし、先鋒第
一軍養子格之助、真先に『天照皇大神宮、八幡大菩薩、湯武両霊王』
の十六字を大書したる一大旌旗を朝風に翩翻として、吹靡かせ、第二軍
は、本隊として総大将大塩平八郎、其身尾鍬形打ちたる兜を脳上に押戴
き、黒地に桐紋の縫ひをしたる戦袍を着流し、采配を執りて、眼光烱々、
中軍に扣へたり、而して第三軍後殿として、瀬田済之助、之を率ゐ、其
余左右翼には、近畿隣国より集れる燕趙悲歌の徒、之れに備へ、古流の
大砲を引いて発す、即ち大砲一発轟然歩武を進む途にして、集り会する
者無慮二百余人、全軍囂然として向ふ、既にして其向ふ所悉く火を放ち
て進む、流石浪華の広きも満都殆んど火焔を以て蔽はるゝに至る、其悽
愴惨憺殆んど目も当てられざるの状態なり、遂に鴻の池、三井、岩城、
平野の諸豪家に闖入し、其倉庫を破毀し、金穀を散して、以て衆民の拾
ひ取るに任す、而かも剣戟銃砲の前、殆んど近づき拾ふ者なし、此の如
くにして八方に荒れ廻りて、到る処土足に掛けて蹂躙す、其勢ひ、恰も
獅虎の咆哮するが如し、幕兵、之を防がんとするも、其勢ひ、猖獗にし
て殆んど当るべからず、幕兵逡巡して進まず、既にして幕兵坂本弦之助
の為め、賊の一将安田図書なる者、狙射せらる、是に於て乎、差しもに
猛り狂ひし一軍忽ち阻喪して、潰走の色あり、幕兵此機に乗じて突進す、
賊兵終に支へずして四散す、嗚呼、軍に紀律なき烏合の衆、動もすれ
ば一士の斃るゝを以て、忽ち全軍の潰走を見るものなり、
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