Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.6.28

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩平八郎の乱が及ぼした淡路への影響」
その1

野口 早苗

『あわじ 第6号』淡路地方史研究会 1989.2 より


禁転載

 大阪に大塩平八郎を研究している「大塩事件研究会」という会がある。この会が発行している会誌『大塩研究』第8号(一九七九年一〇月)に生駒山麓・四条村の年寄役・紋右衛門の日記について、奈良女子大学の中塚明先生が著かれた「生駒山麓の村からみた大塩事件−紋右衛門の日記を通して−」の文章を目にした時、鳥井村(現在の三原町八木)島田茂右衛門の日記の中にも大塩平八郎の乱が起った頃の事が記されてあった事を思い出し、日記を所蔵しておられる子孫の島田耕さんから茂右衛門の日記をお借りして改めて読み返してみた。茂右衛門は俳句をたしなみ号を「花橋」と名のり、嘉永四年(一八五一年)八十才で没したが非常に筆まめで几帳面な性格であったらしく実に多くの書きものを残している。天保三年より嘉永三年まで十八年間にわたる日記(長帳仕立、八冊約四百九十枚)には淡路島の江戸期の生活がいきいきと伝わり当時の風俗習慣が手にとる様にわかる「目に見える過去」が描かれていて非常に貴重な参考資料だと思う。

 この日記の中から天保八年、二月十九日大塩挙兵で海をへだてた淡路の民衆がどの様なかヽわり方をしたのかその関係のある箇所を抜き書きし、先にのべた生駒四条村紋右衛門の日記とを比較して私なりの考えをまとめてみた。



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