|
跡部山城守組与力(奉行所付町与力)大塩格之助養父大塩平八郎、右大塩
格之助、右之者共儀、平八郎は表に謹厳行状を飾り、文武忠孝之道を講じ
ながら、内実養子格之助え可嫁合約束にて養置、摂州般若寺村忠兵衛娘
みねと及奸通、殊諸人之信用に随ひ慢心を生じ、軽き身分を不顧、御政
たゞ
道を批判いたし云云、との捨札を付され、焼け爛れた黒坊主の死骸を塩詰
めにされ、大阪市中百四十五橋引廻の上へ、千日で磔の所刑を加へられた
え ん
る、大塩父子の縁辺に繋がるものゝ、当時の遺恨や察せられます。兵を取
つて既に幕兵に抗す、当時叛乱と呼ばれ、逆賊と称せらるゝも致方ないと
ざんぶ はなは
した処で、「忠兵衛娘みねと及奸通」に至つては、実に讒誣も太だしい、
は らけつてき
爬羅抉剔、後素の人格を傷つけんとて、徒党の変心者、東組同心吉見九郎
右衛門の犬の逃げ吠へに等しき密訴を根にして、単に国事犯たるべきもの
に、破廉恥罪を追加するとは、実に情けない次第で、大塩と常々別懇で、
叛乱当時、之れが捕方に向ふたる、御城付玉造口与力坂本鉉之助著の咬菜
ござ
秘記に於て、痛快に之を弁駁致して厶ります、よし秘記が無いにした処で
か ゝ
世の具眼者は、如恁る捨札は、一笑に付し去つたもので、頼山陽と後素の
たゞ な
交りは、水魚啻ならぬので、山陽は後素の叛乱に先立つて、没くなりまし
たから、此捨札は眼に致しませぬが、若し之を見たとすれば、如何で厶り
ましよう、兼て日本政記や日本外史を著はして、暗に皇室の式微を嘆き、
幕政の横暴を憤ほる点に於て、後素と其意見一致して居りますから、或は
ほこ
矛を取つて立つたかも測られませぬ。
|
幸田成友
『大塩平八郎』
その195
讒誣
事実ではない
ことを言いた
てて他人をそ
しること
爬羅抉剔
他人の欠点を
暴きだす
坂本鉉之助
「咬菜秘記」
|