Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.5.13

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


「教談大塩後素」
その1
野口復堂(野口善四郎)

『通俗教談集 第一集』大倉書店 1912 所収

◇禁転載◇

 管理人註
   

跡部山城守組与力(奉行所付町与力)大塩格之助養父大塩平八郎、右大塩 格之助、右之者共儀、平八郎は表に謹厳行状を飾り、文武忠孝之道を講じ ながら、内実養子格之助え可嫁合約束にて養置、摂州般若寺村忠兵衛娘 みねと及奸通、殊諸人之信用に随ひ慢心を生じ、軽き身分を不顧、御政                      たゞ 道を批判いたし云云、との捨札を付され、焼け爛れた黒坊主の死骸を塩詰 めにされ、大阪市中百四十五橋引廻の上へ、千日で磔の所刑を加へられた         え ん る、大塩父子の縁辺に繋がるものゝ、当時の遺恨や察せられます。兵を取 つて既に幕兵に抗す、当時叛乱と呼ばれ、逆賊と称せらるゝも致方ないと                           ざんぶ  はなは した処で、「忠兵衛娘みねと及奸通」に至つては、実に讒誣も太だしい、 は らけつてき 爬羅抉剔、後素の人格を傷つけんとて、徒党の変心者、東組同心吉見九郎 右衛門の犬の逃げ吠へに等しき密訴を根にして、単に国事犯たるべきもの に、破廉恥罪を追加するとは、実に情けない次第で、大塩と常々別懇で、 叛乱当時、之れが捕方に向ふたる、御城付玉造口与力坂本鉉之助著の咬菜                 ござ 秘記に於て、痛快に之を弁駁致して厶ります、よし秘記が無いにした処で         か ゝ 世の具眼者は、如恁る捨札は、一笑に付し去つたもので、頼山陽と後素の       たゞ                     交りは、水魚啻ならぬので、山陽は後素の叛乱に先立つて、没くなりまし たから、此捨札は眼に致しませぬが、若し之を見たとすれば、如何で厶り ましよう、兼て日本政記や日本外史を著はして、暗に皇室の式微を嘆き、 幕政の横暴を憤ほる点に於て、後素と其意見一致して居りますから、或は ほこ 矛を取つて立つたかも測られませぬ。


幸田成友
『大塩平八郎』
 その195
















讒誣
事実ではない
ことを言いた
てて他人をそ
しること

爬羅抉剔
他人の欠点を
暴きだす



坂本鉉之助
「咬菜秘記


「教談大塩後素」目次/その2
「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ