一斎尚ほ斯の如し、況んや他をやで、武士に致しました処で、之と同じく、
大阪城代土井大炊頭の命を伝へて、今迄孤疑逡巡、起つ能はざるの腰抜け
武士東町奉行跡部山城守を、兎も角出馬せしめし、西町奉行の堀伊賀守さ
へすら高麗橋で敵の白旗を見て「ソレ打て」と命じたはよいが、臆病にも
距離が遠過ぎるので、砲丸は敵に達せず、反つて己れの砲声に驚ろいて落
てきぐわん
馬し、組下の同心共は、大将は敵丸に当れりと早合点して、四方に散じ、
ま ござ
御大将は御祓筋の会所に匍ひ込むと云ふ有様、何等の醜態で厶りましよう
ぞ、旅順攻撃の肉弾将士と比較して、等しく之れ日本人かと思ふと不思議
ちがひ
な程の差違で厶ります、是れ幕政と王政の違ふ処で、後素、身は市井の一
と さ
俗吏と雖も、眼は疾くより聖賢の書に曝らし、藍より出でゝ、藍よりも青
く、陽明より出でゝ、陽明よりもより陽明紛雑の哲理を綜合して太虚と方
寸の説を成し、天あるを知り、地あるを知り、而して人あるを知る、然る
に天地に代つて、人の父たるべき牧民の職者が、天保両度目の大飢饉に当
つて、幕府に媚びる為め、江戸へは廻米を為しながら、反つて今上の京都
はまいかひ
へは之を差止め、剰へ五升一斗の端米買せんと下阪するものを捕縛する、
又当地の富商豪家は大名へ金銀を貸付け、家老用人格となり、利足の外に
莫大の扶持米を取り、不正の利得を以て、農民の手より田畠を買ひ絞り、
飢へ疲れたる農民を苦役して、新田を開墾し、益々私腹を肥すことに之れ
かみ
努め、上に立つの奉行は、蔵屋敷役人共と、彼等とを結ばしめ、堂島の米
もてあそ
相場を玩弄ばせて、之等姦策より得たる利分は、之れ奉行の役得なりと口
けうはん
を拭ひ、百四十五橋畔、餓へに叫ぶの声を聞いて、鳥が啼くかと済し込む、
跡部山城を見ては、如何で知行合一を旨とせる後素の黙々に付すべき、隠
居ながらも救民の献策数度、一も顧りみられず、反て狂せりと罵られ、富
民を説くも跡部の為めに妨げられ、我が方寸の虚と太虚の虚と、気息相通
ぜしめんと計るには、之れ位にて止むべきに非ず、蔵する処の書冊数千巻、
残らず売り飛ばして六百両、悉く之を貧民に施し、尚ほ汚吏姦商を倒して、
贓財を散し、以て、飢餓を救はんとするに急なるもの、何の暇か、当時の
御公儀なるものを恐れんやで厶ります。
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