其後村役場へ泥棒が這入り、地祖金を持去りました事があつて、穴埋めの
為め、村長が采配を振つて、頼母子無尽講を組立てましたが、養母は従来
そ こ わた
の頼母子で尠からざる損失を蒙つて居るので、入講を拒絶する、処で復
くし
堂は、一策を村長に授け、母に説いて、翌朝、仏壇を売り、地祖の再納を
なら
致しまして、全村地祖を納むるの義務あるものは、此例に傚へ、再納を彼
此するものは、復堂出馬して、其家に就き理解せしめ終る迄、其家を去ら
ぬと、触れさせました処、何様真宗の門徒原、仏壇の金光りが、家の光り、
身の光りと、心得居るお百姓衆、之れ売らされて耐るものかと忽ちに出金
うち
致しましたので、講を組立つるの必要もなく、所要の金額は一日の中に集
りました、復堂は大阪府庁より賞賜を受けました。此時養母は復堂に向ひ
さながら きちがひ
「宛然天満の遣り口じや」と申しましたので、之は矢張り「天満の狂」と
同意味で、単に田舎婆の片言と心得、左のみ意を介しませなんだ。
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