Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.5.20

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「教談大塩後素」
その7
野口復堂(野口善四郎)

『通俗教談集 第一集』大倉書店 1912 所収

◇禁転載◇

 管理人註
   

   わたくし 処で、復堂、印度より帰朝後、開進学校と云ふ私塾を自宅に開き、頻りに 学生の薫陶に従事致しました処が、其教授法が中々厳格で、鞭撻を加へる は珍らしくない、苟くも門下にして不正の行為ある時は、鞭撻は愚か、足                             を挙げて蹴り、悪罵痛罵、傍人も聞くに堪へぬと云ふ有様、恁う云ふ場合                  らつ       ま る には、養母が飛び出し来つて其青年を拉し去り「宛然で天満の遣り口じや」                                 しつ と呟く、或る時、京都の某先生に託せし書生が瓢然と帰り来り、復堂の膝   とゞま 下に止らん事を乞ひましたから、励声一番、「去れ奴輩、京都は此地の如  へんぴ き偏鄙に非ず、交遊、従つて広し、汝を託するの師は、復堂如きの昏昧に        な      わ れ 非ず、異日業就らば、復堂より迎へて、余が家塾に長たらしめん、汝、父 母の事は憂ふる勿れ、余、常に之を見る、逡巡は汝の為めに非ず、去らず んば打たん」と座側の木刀を手にした。書生は驚き去りましたが。翌朝京     しらせ 都よりの報知で、書生の轢死を知りました、其後養母と復堂は、招かれて 其書生の家に往きましたが、僧を請じて、死者の冥福を祈ると云ふ場合、 祭壇には位牌を安置し、香華、供物、山を成すと云ふ有様、復堂は突然起 ち上つて、位牌を取るより早く、庭前の沓脱石に投げ付け「汝の薄志弱行                           かんばせ は、徒らん師命に背き、老いたる父母を悲しましむ、何の 顔 あつて、祭 壇の上に立つを得べき、僧家は之れが為め、冥福を祈るべからず、反つて                             の ろ 此の忘恩者をして、後世の誡めに、地獄に堕落せしむる様、咒咀ふべし」                       なだ と来た時には、座中総立ちとなつて、復堂の怒を宥め、死者の両親は木牌 を復堂の前に置き、死者の口上を以て、師命に背きし罪を謝せしめ、復堂 の養母は、死者の口上を以て、木牌を以て両親に不孝の罪を謝せしめ、始          めて僧侶の読経を免るしました。帰路養母が復堂に向ひ、「あなたは余り に遣り過ぎじや、道理は道理じやが、余り厳しく遣り過ぎると終には思は ぬことに、身を滅すことが出来ますぞ、不思議な程天満風じやと又例の天 満がでました、



野口はオル
コット招致
のため1888
年インドへ、
翌年帰国


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