Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.7.18

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「大塩の乱関係論文集」目次


〔戯曲〕落葉記−大塩平八郎−

その12

奥山健三( 〜 1938)

『奥山健三遺文集』奥山健三君記念会編・刊 1939 所収

◇禁転載◇

第一幕
  第二場 町竝の家(4)
管理人註
   

  役人達全部で六名、土橋を渡つて上手へ行つて了ふ。お弓親子、や   つと胸撫で下して役人達の後姿を見送る。 老婆 ああやれ/\全く胸も晴れましたわい。全くもう死ぬ覚悟で居ま  したが、やれやれこれであのお侍もどうやら助かつたらしい。お侍様  つ。お侍様つ。 お弓 ほんとにおつ母さん、嬉しい事で御座います。   縁の下でぢつと隠れて居た若侍、役人共が全部向ふへ行つて了つた   のを見計らつて、老婆の声に葡つて出て来る。まだ役人は居はせぬ   かと周囲を窺ふ。 若侍 むー。苦しかつた。苦しかつた。どうも有難う御座つた。 老婆 まあ万事うまく行きました。ほんたうに妾や恐ろしくつて生きた  心持もしませなんだが、旨く言ひましたので幸ひ気付かれもせず、万  事都合よく行きました。若しあなたが見付け出されでもしたら、妾等        もろ  親子はあなた諸共死ぬ覚悟をして居りました。 お弓 まあ、ほんたうに旨く逃れる事が出来ましたわいな。これも全く  神様の御加護と思ひます。 若侍 誠に有難う御座つた。何とも御礼の申し上げやうもない御志、御                             むせ  恩は決して忘れませぬ。これも全く神様の御加護と嬉し涙に咽んで居  るやうな次第で御座ります。                 な り 老婆 ほんに嬉しや、したがその服装では余りに御気の毒、こゝに男の  着物がある程に、それを着さつしやるがよい。これ娘、此の御仁にお  とつつあまの着物がある程に、出して着せてやつて呉れぬかえ。              な り お弓 あい。お侍様、其の服装では余りに御可哀さう。あの火事で火の  波、炎の海で焼けて了つた事と思はれます。(お弓箪笥から立派な絣  の着物とを取り出す。) 若侍 いや重ね重ねの御心使ひ、有難く存じまする。実は何を隠さう、  拙者は大塩先生輩下の者で稲垣といふ者で御座るが、むかむかつとあ  の御屋敷に火災を起させまして御座ります。あのやうな無慈悲な、大  飢饉にも鐚一文も出さぬ様な無慈悲な屋敷を焼いて、今路傍に困しん  で居る人々を救はうとしたので御座います。皆これも哀れな人々を思     しわざ  つての仕業、皆の人々はどう御思ひになつて居られるやら。(抜身の  刀をぴつたり鞘に納める。) お弓 どうかお侍。その御召物、これなる着物とお着換へ召されて下さ  れませ。 若侍 これは千万片忝けない。(殆んど猛火に焼かれてびり/\になつ  た着物を脱ぎ捨て、新しい立派な紺絣の着物をお弓の打ち掛ける儘に  着換へる。) お弓 これは立派な殿御様、父の衣類がよく似合ふで御座います。(お  弓、惚々と若侍を見上げる。) 老婆 ほんに見上げた男ぶりの殿御様。したが、あの御屋敷の火事は、  先刻も気味がよいわいなど言ひ乍ら、あの土橋の上で西の宮を眺めて  居た避難民が御座りました。 若侍 大塩先生も、もうかうなつたからには、この大阪の地にも居れま  せん。先生は大阪町奉行所に出仕せられ、建白書が拒絶せられてから  といふもの毎日毎晩、お考へになられましたが、遂に、かういふこと  になりましたからには、今晩にも大阪の地を離れむ御所存に御座りま  す。拙者も一刻も此の地を離れなければなりませぬ。拙者、一刻も猶  予はなりませぬから、これで御暇致さん所存に御座ります。

   


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