Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.7.19

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〔戯曲〕落葉記−大塩平八郎−

その13

奥山健三( 〜 1938)

『奥山健三遺文集』奥山健三君記念会編・刊 1939 所収

◇禁転載◇

第一幕
  第二場 町竝の家(5)
管理人註
   

老婆 色々聞きますれば、誠に命を投げ出しての御骨折り。したが、も  う此の地を今にも離れなければならぬとのお話、聞けば誠にお痛まし  い。 お弓 ほんに一度の御縁とはお情ない。お慕はしやお侍様、妾しやくや  しうございます。此の身が男なら、大塩様の下にあなたのやうな人と  貧民の為に力を尽す所存に御座りまするが、それも果敢い空頼み。お  名残惜しい御縁で御座りました。もうまたと会ふ機会も御座いますま  いね。(お弓の眼には早、涙が宿つて居る。涙にうるんだ眼でちらつ  と若侍を見やる。) 若侍 ほんたうに浅い御縁で御座つた。だがお二人の御恩、拙者死ぬま  で忘れは致しませぬ。せめてお名前なりと伺ひ度く存じ奉ります。 お弓 何のこれしき。聞いてこちらが恥かしくなりまする。………今は  この様に零落は致して居りまするが、もとは妾も立派な武士の娘、昔  は松本秋之亮の娘と少しは人にも知られましたるものには御座います  が、種々の理由から御家は断絶、それからと言ふものは斯く母と淋し  く暮して居るものに御座います。 老婆 (涙を拭いて)これを語るも涙の種。お侍様にはお急ぎのやうぢ  や。掻い摘んで申し上げまする。妾の父はあのお屋敷を焼かれました  る森部様の先代の御兄弟、(若侍、はつと驚く。)今の森部様には従  兄妹同志の間柄になりまする。妾が松本家へ嫁いでからといふものは  その森部様が事毎に辛く当りまして、夫が永の患らひで遂に果敢くあ  の世へ旅立たれましたるは四年前のこと、其の時の森部様の仕打ち、  今から思つても口惜しくてなりませぬ。妾を女ぢやと思つて余りと言  へば余りな仕打ち、女は家督は継げぬものと、此の妾の娘お弓をもさ  し置いて、遂に御家断絶と手続き取つて了はれました。此の娘お弓に  は、いい三国一の聟を取つて末は殿御の妻ぢや母御ぢやと言はれむ時  を待つて居りましたのに、此の森部様のむごい仕打ち、これも森部様  の倅新助殿の此のお弓に対する方恋から、妾しや口惜しうて、口惜し  うて時も至れと待つ中に寄る年波もいつか六十と五………。(涙に濡  れて言いもやらぬ。) 若侍 聞けばほんたうに哀れなお話し、同情に堪へませぬ。なれど一刻  をも争ふ時、浅い御縁で御座つたが、これでお暇致しまする。お弓さ  んとやら、これからも幸運が廻つて来ぬとも分りませぬ、よつくお母  御様に孝養なされて下されませ。 お弓 はいはい。お侍様も無事にお逃れ下さいませ。只それ許りを神様  に御祈り致して居りまする。御身体随分と御達者になされて下されま  せ。(若侍に縋りついて別れを惜しむ。) 老婆 ほんたうにお早いお立ちぢや。是非もない事ながら、途中御無事  でお逃れなされて下され、大塩様も御無事でお逃れなされて下さる様、  陰ながら神仏に祈つて居りまする。くれ/゛\もお身体に気をお付け  下されませい。 若侍 いや色々と有難う御座つた。ではこれでお暇することと致します  る。皆々、御健勝で。(親子両人の家から出る。後を振返つて心から  なる一礼をする。) お弓親子 途中お役人様にも見付からぬ様、無事にお逃れなされて下さ  れませ。(名残り惜しさうに家の戸にまで出る。)                    を り 若侍 幾重にも有難う御座つた。また機会があれば………。随分とお達  者で。(若侍、周囲を見廻して暗闇を見すかしつつ老婆の家から遠ざ  かり行く。)












果敢(はかな)い
 


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