Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.7.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


〔戯曲〕落葉記−大塩平八郎−

その14

奥山健三( 〜 1938)

『奥山健三遺文集』奥山健三君記念会編・刊 1939 所収

◇禁転載◇

第二幕
  第一場 山村路(1)
管理人註
   

  河内国東境の山麓にある一軒の古風な農家のある辺り。見渡す向ふ                おか   一帯に、樹木の繁茂した山や阜が遠く近く波を打つてゐる。其の間   には所々刈り跡になつた田が見られる。此の農家、間口はやつと二   間許り、見えて居る奥行は一間半、屋根は杉皮葺き。左手は葺降し   て背戸へ通路が附いて居り、其の入口は菰が垂れて居り、母屋の奥   も菰で敷切られて居る。上り口は樹の皮がついた儘の幹で作られて   居る。この家の裏手には竹藪が少し許り見られ、背戸の裏には筧の   水が溢れ出て来て下の小川で落ち込んで居る。此の辺から山も傾斜   を作つて向ふの山も阜も少し傾斜を持つてゐる。中央には原始的な   自在に釜が掛けられて、爐には薪火が明るく盛んに起されて、そこ   には六十五、六の爺が爐の辺で釜の湯を片方の茶碗に注ぎ込んで居   る、そして其の傍にはやつと此処迄逃れて来た若侍稲垣行之進が座   して居る。    時は矢張天保八年の二月下旬、或る午後の日、 稲垣 御老人、時にちと御尋ね致し度い事が御座いまするが………。 老人 何ぢや、尋ねたいと申すのは。 稲垣 その何で御座ります。近頃、此の辺りへ役人衆は来ないものに御  座りませうか。拙者共、大塩先生にお別れ申してといふものの全部が  四散致しまして、役人衆の眼を逃れて居るものに御座ります。 老人 さうぢやな。まだ役人の手がこちら迄も廻つて居ないと見えるが、  もうぢき役人衆があなた達を尋ねてこちらへも見えることで御座らう  喃。何がさて油断は出来申さぬぞ。然し何と言つても此のあばら屋、  まさか大塩様の御配下が居られるとも思ふまいて、まあよい、まあよ  い。心配してゐた日には何処に居たつて危い。ゆつくり寛ぐがよい。  まあ茶でも飲んで下され。 稲垣 有難う御座います。何と言つても此の界隈には居られぬ身体、ま  た御迷惑になるといけませぬから、役人の手の廻らぬ中に逃げて了ひ  ます。それにしても心配なのは大塩先生のお身の上、もうあの乱のと  きから心配で心配でなりませんでした。後で聞く所によると先生の御  配下も相当殺されたとか、先生が御無事で大阪の地をお逃れになつて  居られればよいが。 老人 大塩殿は剣の立つ達人、まさか役人ばらに捕へられもしまいて。  まあ/\落ち着く事が一番肝要ぢや。わしなんかは昔はこれでも朱総  を頂いて居たが、感ずる処あつて此の山麓で百姓生活をするやうにな  つた。その理由といふのもお前方若い方の考へる動機と同じ事ぢや。  まあ/\お前方もかうして半生は鋤鍬を取つて気楽に暮しなさるがよ  い。今の役人達と言つた日には理も何も弁へず無鉄砲な連中許りぢや  から喃。世も末になつた事ぢや。大塩殿のやうな立派な人は世に容れ  られずに、凡くらな連中が暴政を施す世ぢやから喃。 稲垣 何にしても正しい世ではないでせう。それにしても私、一刻も早  く此の地を離れたい所存、明日にもなれば役人等の眼が厳しくなる程  に、まだ日もありますから此の山を越したく存じます。

朱総
(しゅぶさ)



















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