Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.7.22

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「大塩の乱関係論文集」目次


〔戯曲〕落葉記−大塩平八郎−

その16

奥山健三( 〜 1938)

『奥山健三遺文集』奥山健三君記念会編・刊 1939 所収

◇禁転載◇

第二幕
  第一場 山村路(3)
管理人註
   

大塩 (立ち留つて左手の珠数をつまぐりながら、)はい大阪方面から  参りました。 甚右衛門 ほほう、大阪方面で御座るか。すると最近の大塩様の乱を知                    おい  つて御座る喃。此の様に田舎に居ると、老の身は何も知らずに過ぎて  行きまする。ちと大塩様の乱のお話でもして下さらぬか。 大塩 (ぎくつとして老人の顔を見る。老人の何も知らないらしいのを  見て安心した様子。)さうさ喃。拙者は何も知らぬのぢやが、大阪町  はもう大塩とかいふ奴の乱心のためごつた返して居るとか聞き及びま  した。(網代笠の中で悲しい淋しい笑ひを浮べる。) 甚右衛門 さうで御座るか。それにしても大塩様は此の度の飢饉に困し  んで居る飢民を救はんが為に官米の下付を願つて奉行殿に拒絶された  とかで、乱を起されなされたとか。全く至極尤もの話で、貧民飢民に  取つては全くもつて尤もの話なんぢやが、此の世の中と言ふものはさ  うは旨く行かぬもので喃。今奉行所の役人は大塩様以下一味の者を残  らず引つ捕へんと鵜の目、鷹の目で全国に網を張つたとか申しますの  ぢや。大塩様は配下が死傷した上に、あまつさへ輩下は四散、行方知  れずぢやと言ふこと。大塩様は何処に居られるか知らぬが、其の心の               ぢぢめ  中、御察し申し上げても此の爺奴、涙が独りでに流れて参ります。 大塩 ほほう、左様な事で御座つたか。拙僧は何も知り申さぬ故、大塩     やつ  と言ふ奴ぐらいにしか思ひ申さなんだが、左様で御座つたか、むー。  (横を向いてほろりとする。)   滅此昏盲闇、閉塞諸悪道、通達善趣門、功祚成満足。あああ、世の  中も悪人の栄える世の中となつたか。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。  (珠数をつまぐる。内心は淋しげなる様子。) 甚右衛門 それについ先刻方も、大塩様の門下生の方が逃げて来られた。  大分負傷されて居たから、少し身体を休めるやうに言つて留めて置い  たが、役人の眼がうるさいと言つて間も無く出て行かれましたぢや。  さう、今し方のことぢやつたな。 大塩 えつ、(大塩の驚き一方ならず。持つて居た杖を思はず、後へに  支へてきつと向ふの山道に眼を遣る。網代笠の大塩の顔は爛々と輝く。)  いーや、何でもないのぢやが、幸ひどなたか此の山を越して行かれる  人があるらしいから、旅は道連れぢやで、ちとその御仁に追ひ付きま  せうわい。(手足焦つて心も空に、左脚を一歩前方へ踏み出す。) 甚右衛門 まあ/\そんなに慌てなくともよう御座らう。御僧はよつぽ  ど慌てる癖があると見えまする。はははは。               わ し 大塩 さうぢや、さうぢや。拙僧には何時も慌てる癖があつて喃。何時   しくじ  も失敗るのは此の為ぢやが。まあ/\折角先へ行かれた御仁が居られ  ると言ふならば、一刻も早く其の御仁に追ひ付きませう。ついでぢや                     わ し  が其の御仁の名は何と言はれまするな。拙僧もかう脚が弱くなると山  路で人を追掛けると言ふのは一苦労ぢやからな、はははは。 甚右衛門 左様ぢや。先に行かれた御仁は未だ若い侍で稲垣行之進と申  された。 大塩 えつ、(大塩の眼は喜悦に輝く。よくも無事で居て呉れたと大塩  の胸はもう喜悦に一杯であるが、一方よくも艱苦に堪へ忍んで呉れた  といふ感謝の涙が止め度もなく流れ出さうになつて来た。)稲垣と申  さるるか。有難う御座つた。(大塩の眼には早、涙が光つて居た。) 甚右衛門 御僧、何故泣いて居られるかな。変挺な事ぢや。先に稲垣と                              わ け  いふ若侍が行かれたと言つたら急に涙を見せるなんて、全く理由の解  らん話ぢや。        わ し 大塩 どうも拙僧は、嬉しい事があると直ぐ涙を流すのでな。人にも笑  はれますぢや。いやどうも有難う御座つた。(網代笠の縁を上げて一  礼する。) 甚右衛門 それでは気を付けてお行きなされ。   大塩の雄々しい心も何時しか涙脆くなつて、感謝と喜悦との複雑な       かみ   心持から上手の方に去る。 甚右衛門 (僧形の大塩の見えなくなる迄見送つて、)ほんたうに変妙  な旅僧ぢや、人の言葉に驚いたり…………それにあの急ぎ行く様子と  言ひ、何か仔細があるに違ひない。うんさうだ、さうだ。知らなんだ、  知らなんだ。さうだ。今の御仁は大塩様だ。きつと大塩様に違ひない。  役人達の眼を逃れようとあのやうに僧形に身を更へられての御変装に  違ひない。ううん、大塩様だつたか。それにしてもあの大塩様の面痩  れ、全く御苦労の為とは言ひながら、余りと言へば御痛はしい、それ  と知つたなら、…………御骨休めでもおさせ申すのであつたものを、  おう、お痛はしの姿や!!(遥か彼方に遠ざかり行く大塩平八郎に対  して甚右衛門ははら/\と涙を流す。)








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