Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.7.23

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「大塩の乱関係論文集」目次


〔戯曲〕落葉記−大塩平八郎−

その17

奥山健三( 〜 1938)

『奥山健三遺文集』奥山健三君記念会編・刊 1939 所収

◇禁転載◇

第二幕
  第二場 木津川路
管理人註
   

  清らかに流れる流れのほとり。岩にせかれて流れるどう/\たる瀬   の音聞える。木津川の流は笠置の山麓を縫つて流れる。笠置の山の   緑が近くに迫り雄大なる風景。中央には地蔵堂が立つて居り、木津   川土手には草の緑が萌え出でんとして居る。   時は矢張り天保八年二月下旬の辰の刻。   上手より二人の行商人姿の男現れる。 行商人甲 伊藤氏、木津川堤の景色は非常に綺麗でのどかでは御座らぬ  か。此の眺めの良い所で一寸休みませう。それにしても、確かに此の  道を通るに違ひありません。未だ通つて行かぬと拙者は思ひますが、  貴殿は如何存ぜられますか。 行商人乙 ほんに左様、拙者も貴殿同様、大塩奴は未だ通らぬと思ひま  す。全く此処は良い眺めで御座る、一寸此の辺で一服して行きませう。  また其の間に尋ねて居る奴等に会はぬとも限りません。うんと、どつ  こいしよと。(両人、地蔵堂の近くへ荷物を卸して草の上に腰をおと  す。前方の笠置の山の樹々の緑に飽かずに眺め入る。) 伊藤 おい加藤氏、拙者等はかうして使命を仰せ付けられたものの、考  へて見ると馬鹿な話だが…………。最近は夜の目も寝ずに大塩連中を  引捕へんものと努力して居るものの、未だ一人の大塩配下をも捕へて  居らぬ。こんな状態では、何時になつたら彼等を全部残さずに引捕へ  る事が出来るか、今日あたり此の辺を通るに違ひないと言ふ噂だが、  余程用心をしないと逃す恐れがある。全く誰一人として捕へる事が出  来ぬとは心細い話だ。然し拙者、今日は獲物をまんまと捕へる事が出  来さうな気がする。一つ今日は出来るだけ探索して見ようでは御座ら  ぬか。 加藤 ほんに左様で御座る。拙者も何だかその様な気がする。まあ、果  報は寝て待てと言ふから、此の辺で此の様に行商人姿で居たら、い鴨  が入らぬでもないだらうて。はははは。   其の時、上手の方から一人の樵夫来る。背には柴を負うて居て、今   山から降りて来たらしい。だん/\近付いて来る。一人の老人であ   る。綿の頭巾を被つて居て、白い頬髯が垂れて居る。 伊藤 あいや、御老人一寸待つて下され。(ぐつとその老人を睨む。) 老人 はい、何で御座りまするぢや。 加藤 御老人はどちらの人で御座るな。そしてまたどちらへ行かつしや  るか。 老人 はい、わしは長野在の者ぢやが、此の辺りまで柴を刈りに来てな、  今から帰る所ぢやが、貴君方はどちらへ御出でぢや。   両人顔を見合はす。 伊藤 ううん、左様か、拙者等両人も矢張り長野方面へ行商に行く積り  なのだが、山では誰にも会はなかつたか、どうか教へては下さらぬか。 老人 へい/\、もう一刻程も前と思はれますぢやが、わしが此の山へ  入らうとした時に、此の奥の山路で一人の旅僧に出会ひました。その                          わし  僧は伊勢の西来寺へ行きたいのぢやと言つてな、此の儂に伊勢路へ出  る道を尋ねましたぢや、それでな、儂は詳しく其の僧に道を教へてや  りました。此の木津川沿ひにぐんぐん遡つて、長野峠から出た方が一  番の近道ぢやと教へてやりましたのぢや。御両人は何か其の僧にでも  御用がおありぢやつたのかな。 加藤 いや/\、さうではないが。(小声で、)では伊藤氏、其の旅僧  とやらが怪しくは御座らぬか。どうやら其の旅僧が大塩であるかも知  れませんぞ。(老人は怪しげな行商人であるわいと、ひそ/\話す両  人を見る。)では一刻も猶予する事は出来申さぬ。伊藤氏、直ぐ長野  峠へ急行致さうでは御座らぬか。うーむ、残念至極。 伊藤 いや、こりやしまつた。残念至極だが致し方ない。では加藤氏、  直ぐ様長野峠へ。(老人益々怪しむ。) 老人 御両人、えらい御慌て様ぢやが、何か御座つたか。 両人 いや/\。(言ひも終らず両人は荷物を肩に荷ふと同時に、もう  四五間老人の傍から離れて居た。そしてどん/\下手の方へ駈けて行  つて了ふ。) 老人 何とそそつかしい御仁許りぢや。あれでは商売も出来はすまい。  (地蔵堂の前で手を合せて、拝んでから徐々に家路に就く。)南無阿  弥陀仏、南無阿弥陀仏。待てよ、大阪には乱があつたといふから、此  の辺でも何か事件が起つて居るかも知れぬ。むー、嫌な世の中ぢや。  (とぼ/\と下手へ去る。)

   
 


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