Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.7.8

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「大塩の乱関係論文集」目次


〔戯曲〕落葉記−大塩平八郎−

その2

奥山健三( 〜 1938)

『奥山健三遺文集』奥山健三君記念会編・刊 1939 所収

◇禁転載◇

第一幕
  第一場 町奉行所(1)
管理人註
   

 場所は大阪町奉行所。中央に高段があつて、段上には凭机が置いてあ  り、左右には与力、同心の居座が据えてある。前は白洲にて後は幔幕  が張り繞らされ、厳しい奉行所の空気が漂うて居る。下手に奉行所く  ぐりがある。  時代は天保八年、太陰暦二月の頃、奉行所の外の景色は、ちらほら新  芽の木々が見られる。時刻は巳の刻。  下手より町の者三、四人奉行所の前に集つて来て、何かひそ/\と話  して居る。一人の男は町人風でさつぱりした紺着を着て居り、他の二  人は未だうら若い髪立ちの若衆である。 町人 おい若い衆さん。もうどうもかうもない。もうわしは糞つ腹が立  つて糞つ腹が立つて仕方がないのぢや。わし等は勿論、今の此の大阪  の町の人といふ町の人つたら、生きた心持もないのぢや、まつたく。  御奉行様だつて何だい。ふん、奉行だつて何だ。民の窮状も知らずに  見殺しにするため、余りにも無情な仕打ちぢやないか。わしに親と妻  子がなかつたら、今でも此の門を叩き破つて、奉行といふ奴に直訴の  文面を叩きつけてやるんだが。 若衆甲 尤も尤も、此の頃の衆といつたら死んだも同然、生きてるとも  思へません。米の値は高いし、食ふ米といふ食ふ米は尽き果てて、も  う死を待つ許りだといふのに、何といふ無慈悲な、もう、思つても口  惜しくつて、近頃の路傍を見て居ると、自然に涙がこぼれて来ます。 若衆乙 今日も今日とて、私は近くの原つぱに井戸水を飲まうとして居  る親と子を見ましたが、汚い水をがぶ/\飲んで命を繋がうとして居  る様子を見ると、いやもう涙が迫つて来て、ものも言へません。私等  の命も、結局あの様にして命を繋いで行かねばならぬかと思ふと、身  の毛がよだつて、恐ろしさやら口惜しさやらで、涙が流れる許りで御  座います。私が此の朋輩と此処へやつて来たのも、外でもありません。  私達は、貴方も御存じと思ひますが、あの洗心洞書院の門下生で、大  塩先生の命を受けまして、一寸奉行所の様子を見て来いとのこと、只  今やつて来たところです。 町人 ははあ、成程、大塩さんの御使命によつてか。成程、わしはずつ  と以前だつたが、悪い役人によつて、すんでの事で家も屋敷きも没収  されようとした時に、時の与力の大塩様に助けられた事がある。全く  大塩様は神様ぢや、神様ぢや。それに引き換へ、此の頃の役人の乱暴  無暴、数へ挙げたらきりがないわ。私腹を肥す為に汲々として、弱い  者と見れば家屋敷は無造作に没収する。わしはもうその時はも世の役  人には仏も神もないと思つて居たが、大塩後素様によつて助けられた  わしだ。それからといふもの、全く大塩様だけが世の救ひ主だと思つ  て、死すべき命を捧げようと思つて居たんぢやが、さうだ、よろしい、  若い衆、皆殿達の御使命は分つた。わしがむせつ腹抱えて奉行所の門  をつぶさうとまで思ふ心の中だ。まして慈悲深い憐れみ深い大塩様だ  もの。うーむ。(何か心に決する所ある様子。)




凭机(ひょうき)


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