Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.7.28

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「大塩の乱関係論文集」目次


〔戯曲〕落葉記−大塩平八郎−

その20

奥山健三( 〜 1938)

『奥山健三遺文集』奥山健三君記念会編・刊 1939 所収

◇禁転載◇

第三幕
  第二場 西来寺(1)
管理人註
   

  西来寺の境内で左手には鐘楼があり、其の右手には本堂の一部が見   える。本堂の欄干と其の昇段とはまだ木の香も新しい。が然し、大   きな本堂の屋根は汚く穢れて居る。鐘楼の後は竹藪で大きな孟宗竹   が弓なりになつて茂つて居る。時は天保八年三月上旬の夕暮れで、   此の西来寺の庭にも暮色が漂つて居る。    本堂からは経を読む上人の声が聞え、木魚の音も雑つて聞えて来   る。    声、………離欲深正念、浄慧修梵行、志求無上道 為諸天人師、神   力演大光、普照無際土、消除三垢冥、広済衆厄難、開彼智慧眼………。    其の声に合せて念仏を唱へる声がある。本堂の下に小さく蹲つて眼   をきよろ/\周囲に配つて居る乞食坊主の声である。大分時間が経過   してから経の声は止まる。けれども此の乞食坊主の口からは六字の名   号を唱ふる声が中々止まない。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿   弥陀仏……………声が止まると、其の声は泣き声に変つて了つた。 大塩 おおおお御声を拝すれば幾年振り。(汚い手で顔中の涙を拭ひ、)  それにしても御変りのない上人様の元気のある御声。聞けば有難い嬉し  いが、以前とは変り果てた此の我が身、どうして再び御会ひして、我が  身の恥が述べられようか。思ひ出づれば昔と今と、仏はどうしてこんな  にも我が身を情ない姿に変へて了つた事か。今迄張りつめて居た気は何  処へやら、もう上人様の御目にも留まらぬ此の身なるか。むー、此の寺  の内は変らぬが、唯我が身だけは大きな変化、思へば、思へば………。  (咽び泣く。思ひ返して念ずる。)夫れ弥陀成仏の念願は衆生済度の大  願にして、無碍なる大道照らさんが為なり。無上甚深微妙の法は百千万  劫にも相遇ふ事難し。我今見聞し受持する事を得たり、願くは如来の真  実義を解し奉らん。   その時庫裡の方より雛僧が出て来る。本堂の前を通り過ぎ鐘楼に登つ   て行く、大塩は蹲つた儘雛僧の姿を見て居る。すると間もなく鐘楼の   鐘の音が響き渡る。ごーん、ごーん、ごーん、ごーん……………。周   囲の静けさを破つて淋しく夕闇の中に鐘の音が溶け込んで行く。鐘楼   堂より降りんとした雛僧は、本堂の縁下に蹲り居る乞食坊主に眼が留   る。それと同時に大塩も両膝で躄り出る。 雛僧 こら、こら乞食坊主、そんな所に居てはいかん。此の御仏様の本堂  の縁の下が汚くなる。行け、行け。(手で追つ立てる格好をする。) 大塩 はい一寸御願ひ致し度い事がありましてやつて来たもので御座りま  す。真阿上人様には先刻迄の御読経、御在寺の事と存じまするが、一寸  御会ひしたいと存じまして、はい。 雛僧 上人様は其方の様な乞食坊主に用はないが、上人様の御名前を知つ  て居る点を見ると何か仔細もあらう。其方は何と言ふか。 大塩 (もう御会ひ出来る、しめたと思ひながら)は、はい。昔はこれで  も与力を勤めた者、恥しい事乍今ではこんな乞食坊主も同然の者、大塩  平八郎と申しまする。上人様には良しなに御取計らひ下されませ。(自  己侮蔑に陥りながらも熱心に歎願する。) 雛僧 宜しい、では此処で待つて居て下され。(急いで上手に去る。)
















無量寿経









































雛僧
(すうそう)
幼い僧







(いざ)り


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