喜作(つづき) それから野辺の送りも涙の中に過しましたその中に、
なが
此の親父様がまた永の疲れで寝込んで了はれたので御座います。世に
は神も仏もないものか、それからは幾度死んで了はうと思つたかは知
れません。親父様に孝養を尽くすが子の分と、それも思ひ止まつて今
日が今日まで生き長らへて来たので御座います。私達親子はもう昨年
の十一月に死んだも同然な身の上なので御座いますが、此の日まで生
き長らへて居たのも理由があるので御座います。と申しますのは、十
一月の初旬、烈しい風の吹く中に彷徨ひ暮した私は、ふと魔がさした
と言ふか淵に飛び込んで死なうと思つた時、大塩後素様といふ方に出
会ひ、救はれたので御座います。大塩様の話では、心配した事はない、
もう直き官米が出るから心配した事ではない、と言つて、御持ち合せ
の金子の全部大枚三両を下されたので御座います。私にとつては命に
代はる大金、早速帰つて初めて夕の煙を細々立てた次第で御座います。
世には神も仏もあるものと思ひつつ暮します程に、ばた/\死に失せ
る人々、餓死する人々の様を見て居るうちに、此の世が急に嫌になつ
て参りました。先頃また/\ひもじい思ひで水許り飲んで、もう死ぬ
か、もう死ぬかと思ひながら居るうちに、今一度米の飯が食ひたいと
親父様が申しまするので、悪いとは知りながら、人さまのお米を盗ん
だやうな次第。
大塩様は以前に、窮したなら直ぐ拙者に言ふやうにと言はれました
なれど、聞く所によれば、大塩様も貧民を救はんが為に、貴い書物を
全部売り払はれ、家財といふ家財は皆無くなられたとのこと、聞くも
御気の毒な話で、それもならず、斯く人の道を踏み外したもので御座
いまする。
山城守 ほう、聞けば色々と哀れなる物語。さういふ話は近頃よく聞く
が、然し人の持ち米を盗むとは不届きな奴ぢや。此の頃大塩が私財を
投じて貧民を救はんしして居ると聞くが、彼が何程の事をするだらう
ひ なま
か。今に彼奴も干あがつて了ふ事だらう。生じつか余計な手出しをし
た処で、彼奴に何が出来るか。はははは………。おせつかいなは大塩
ぢやて。(役人達一緒に笑ふ。)
喜作、きつとなつて憤懣の情を現はす。左拳を左膝の上に右腕を後
へ引き、きつと奉行の顔を睨みつける。
奉行所門前にて身を隠し耳を澄して聞き居たる三人の者、これまた
憤怒に堪へぬ様子、間もなく三人の者につこり微笑んで、こつそり
奉行所の門前から立ち去る。十間許り逃れて、それより一散に走り
行く。
若衆甲 よし、それならこちらにも算段がある。
若衆乙 もうかうなつたら大塩先生の例の手段だ。
町人 大塩様のお力をお借り申したら、官米も下るわけだ、よーし今か
ら……。
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