Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.7.13

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「大塩の乱関係論文集」目次


〔戯曲〕落葉記−大塩平八郎−

その7

奥山健三( 〜 1938)

『奥山健三遺文集』奥山健三君記念会編・刊 1939 所収

◇禁転載◇

第一幕
  第一場 町奉行所(6)
管理人註
   

  役人上手の奥へ入り、間もなく出て来る。不遜なる態度で、ほくそ   笑みながら出て来る。 役人 どうぞこちらへ。わざ/\の御来所、何の御用かは存じませぬが、  奉行殿には御待ちかねで御座いました。どうぞ御入り下さい。 大塩 有難う存じまする。では皆の衆、失礼をさせていただきませう。   大塩と他の三人も同時に奉行所の門をくぐる。其の時、中央の襖よ   り町奉行、跡部山城守良弼、前の部下を従へて現れる。大塩以下三   人の者威儀を正し、平伏する。 大塩 大阪奉行殿には何時に変らぬ御健勝、何よりと存じ奉ります。久  方ぶりの御尊顔を拝し奉り、大塩、身にとりこれに過ぐる光栄はなき  かと存じ奉ります。 山城守 うん、そちも健勝で何よりぢや。当今世の中は飢饉の為、甚だ  難渋し居るとのこと、いかがぢや世の中は、其の様子をちと話しては  呉れまいか。 大塩 左様で御座います。昨年から本年にかけて、世は飢饉の為、苦し                              かぞ  みのどん底に呻いて居ります。昨年九月よりの餓死せし人数は計へも  切れず、日に日に路傍に倒れ死んで行く数が増えて参りまして、昨今  の状態では民は唯死を待つ許り、全く生きた心持もありませぬ。これ  を等閑に附すれば唯民は死す許り、米の値段は暴騰し、それも今や尽  き果てんのみとなつて了ひました。哀れなる話は此処彼処に発生して、  前古未曾有の悲惨事がやつて参りました。昨日も一昨日も、井戸水や  田畑の水まで飲んで露命を繋いで生きて居る人々の様子を見ましたが、  路に呻吟して将に息を引き取らんとする民が、水を求めて悶えて居る  様は、涙なくしては見られぬ光景、腸もちぎれん思ひの今日此の頃の  状態で御座います。実はそれにつきまして御願ひに参上したやうなわ  けで御座います。私の身はどうなりませうとも、それ等の人々が助か  つたならと、毎日毎晩念じて居りましたが、自分一個の身ではどうす  る事もならず、せめて御奉行様にでも御願ひしてはと存じましたる故、  斯く参上致して御座います。 山城守 うん、して其の願ひとは? 大塩 さればで御座います。飢民を此の儘にして置けばばた/\死んで  行く許り。此の時に当り、まして唯一つの道は、御奉行殿の最善の御  努力が願はしいかと存じまして、畏れながら茲に建白書を持参致して  御座ります。   建白書を右手に持つて居たのを両手に受け、頭の前方へ棒持する。   他の三人の者平伏する。 山城守 む……。(傍の同心に)そち、取つて参れ。何かは知らねど余  程思ひ切つたる事であらう喃う。   同心、段より降りて大塩の棒持した建白書を両手に受け取り、再び   戻つて奉行山城守に恭しく渡す。 山城守 う……。建白書とな。今般大阪方面未曾有の飢饉にて困窮その  極に達し……、何、何、何? 官米を飢民に与へろ? 然らずんば飢  民は餓死する許り、これ見るに堪へぬ所なり。うーむ。 大塩 畏れながら其の建白書、殿より一刻も早く将軍家へ御渡し下され  る儀には参らぬものに御座りませうや。飢民一同に代つて平に御願ひ  致しまする。其の願ひ届かぬ間、此の大塩、命に掛けても頑張る所存。  殿、平に御願ひ致すで御座ります。 山城守 黙れ大塩、其の儀は叶はぬ。如何に人民困窮致さうとも、畏れ  多くも徳川大将軍家の御官米、我等如き者が一指も触る事が出来よう  か。官米を飢民に下せ、そりやそれに越したる事はないが、所詮叶は  ぬ事柄。大塩ともあらう陽明学の大家が、今更その様な事を口に出す  とは笑止千万。余りにも世事に疏いわい。 大塩 なれど其処をまげてでも、御官米下付、平に御願ひ致すで御座り  ます。(他の三人も嘆願する。) 山城守 そりやならぬわ。許されぬと言へば許されぬ。如何に嘆願致さ  うとも、此の儀許りは許されぬて。将軍家が官米御下付あつて、我等  それで知らぬ顔が出来ようか。畏れながら将軍家は我が日本の国、末  代まで幕府としての政治者におはするぞ。民はどうなつても構はぬ。  将軍家の御栄えさへ見れば民はどうなつても構はぬわ。 大塩 いえさうでは御座いませぬ。民の栄えは将軍家の栄え、民の不幸  は即ち将軍家の不幸と存じまする。民が飢えに苦しむ時、之を救助す  るのがお上の仁政には御座りませぬか。支那上代の堯舜は、仁政、善  政を起されましたれば、天下よく治まりました。然るに桀紂は民の不  幸も心にかけず、国は治まらず、天下麻の如く乱れて、遂には桀紂は  殺されるといふ破目にも到りました。仁政と言ふも皆民を思ふ心から  出て居るものに御座ります。

   


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