大阪府 1903 より
じゅんぼく 我が国上古に在りては、人民みな淳朴質素にして、妄に人を害せず、又 敢て己を飾るをなさず、国家を経営する、亦此の如くにして、書契を用ひ ず、只習慣に憑りて之れを弁じ、謂はゆる無為にして治まるの世なりしか ば、詔勅の如き、亦甚簡易なりき。而して上古は殊に敬神の風盛なりしを 以つて、若、己れに罪科ありと思ふ時は、水辺に出でヽ其の身と清め、神 に向かひて之れを懺悔せり。是れ即、神代よりの秡禊にして、上下固く守 りて、妄に之れを破る事なく、殆、法の何たるを知らざりき。後、漸、人 智の進むに随ひ、不良の民を生じ、訴訟の困難なるものあるに至りても、 尚いまだ準拠とすべき成文の法律なかりしかば、依然神慮に依りて之れが たけのうちのすくね そしり 判決をなせり。応神天皇の九年、武内宿禰の弟の讒に遇ひて、罪せられん いんぎょう ぎょ とするや、神祇に謂ひ、湯を採りて、其の無実なるを証し、允恭天皇の御 う 宇姓名を詐る者ありて、之れが裁判に苦むや大釜に熱湯を沸かし、訴人を らんぴ して手を浸さしめ、其の爛否を以つて、之れが真偽を定められられき。是 ク ガ タ チ れ即、盟神探湯と称する一種の裁判法にして、其の他、神慮を伺ひて判決 やや む こ せしこと、一二にして止まらず。爾来、動もすれば国家を危うし、亦無辜 の民を殺害する者なきにあらざりしが、是等は或ひは私地を献せしめ、或 うねめ つぐな ひは子女を采女に奉らしめ、或ひは使役せられて其の罪を賠はしむる等、 臨機応変、一に当路者の任意に出でき。而して是等の事を掌握せしものは、 物部、大件部、久米部、佐伯部の武士にして、子孫みな世襲して其の家職 ただ を移すことなく、其の職掌は即その氏姓となれり。而して是等は、啻に朝 家内外の警衛をなしヽのみならず、地方を巡回して、犯罪人の捜査逮捕、 かん 若くは裁判の任に当り、若くは刑を行ひ、又、戦時に臨みては、出でヽ干 か 戈に従事せり。故に是等の事務を管する官署なく、又規定なく、混沌とし ていまだ一般の国政と区分あらざりき。以上を是れ警察制度の初期とす。