Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.3.12

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その2

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 尋いで孝徳天皇の御宇に至りては、以上の四氏、これに関与せず、更に                         おおむらじ 唐制に做ひて八省百官を設け、大別して大臣は文官、大連は武官とし、 え じ ふ   え もん ふ  ひょうえふ           ひょうえのかみ    すけ     じょう 衛士府、衛門府、兵衛府を置き、兵衛府に於ける兵衛督、兵衛佐、兵衛尉 は、府中の事務を掌り、其の下級たる兵衛は専、皇居、御親近の警衛に当          り、其の数、左右総べて八百人ありて六位以下八位以上の嫡子、及び諸国 の郡司の子弟より採用し、権威頻高かりき。                     え じ 衛士府、亦左右に分かれ督、佐、尉、及び衛士ありて、諸衛の軍団の兵士、 一年宛の交代より成り、以つて皇居の外廓を警衛し、衛門府、亦督、佐、 尉及び衛士ありて、其の成立は衛士府と同じくして、十二の宮門を警衛せ り、 以上は即、五衛府にして、後種々の変遷を経て、兵衛は一変して近衛府と                  しょうそう なり、大、中、少の三将、及び将監、将曹等の武官あり、其の下には又近 衛ありて、警察の任に当れり。而してのち、衛士府の廃せらると同時に、 兵衛府復興して、衛士府に代り、後また近衛、兵衛、衛門の三府共に左右 ありて、これを六衛府といひ、之れに附属せる衛士は、皇居又は大我省の 倉庫寮の武庫等を護衛し、其の他東西の両京を巡検して、響察の任に当れ り。 孝徳天皇以来、唐制に做ひて、弾正台を設け、之をして親王以下百官を糺 し、若、弾正台の官人にして不当の処置をなす者あらば、大臣は此の官人 を糺問し、又、別に巡察弾正と称するものありて、東西両京を巡行し、官 人の下には、囚獄司と称する獄舎を掌る物部ありて、常に囚人を警守し、 兼ねて市に於いて、斬絞の刑を行ひき。 又、京中の政事を掌る左右京職の下に、東京司、西京司あり、前者は左京 に、後者は右京に属し、而して当時商人屋は東西の市に限られ、上十五日                            あまた      ざっ は東、下十五日は西に集まりて、半月交代に市を開きしが、許多の人民雑 とう 閙して、時に衝突を生じ、又、商人の贋物、絹布の寸尺不足りもの、其の 他不正品を売却するものあるを以つて、此の市司をして之れを取締らしめ、       もののべ 其の下には、物部と称するものを設けて、警事と刑事とを兼行せしめき。 後世モノヽフ(武士)の称、実に此の物部より出でたり。


『大阪府誌 警察史』目次/その1/その3

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