大阪府 1903 より
是れより先、政府は、明治八年五月二十四日を以つて、大阪、及び東京、 長崎、福島の二府二県に、上等裁判所を設置せり。即、当地は、西大組第 十七区西道頓堀一丁目に新設し、同七月四日を以つて開庁し、四等判事松 本暢、在勤所長心得となり、翌九年四月十八日、第三大区第二小区土佐堀 四丁目に移転せり。 抑、本所は人民の院使府県に対する訴訟、及び地方裁判所の判決に服せざ るものゝ、謂はゆる控訴する所にして、後同十四年に至り、大阪控訴裁判 きよおかともはる 所となり、判事清岡公張所長となる。 降りて同廿三年一月二十七日、大阪控訴院、大阪始審裁判所、並に中ノ島 治安裁判所は、共に北区若松町新庁に移り、翌二十四年五月一日、天王寺 大阪区裁判所は、西匠土佐堀四丁目、元大阪控訴院趾に転じ、序いで同二 十五年四月二十一日、大阪区裁判所島ノ内出張所は、南区鰻谷東ノ町百七 十五番屋敷に移転せり。 同二十八年、大阪始審裁判所は、大阪地方裁判所と改称し、翌同二十九年 一月四日、焼失せしを以つて、同月七日、大阪区裁判所に移転し、又、同 年四月十六日、大阪区裁判所島ノ内出張所は、南区大宝寺町東ノ町百二番 いとま 屋敷に転じ、後また移転すること屡にして、悉これを拳ぐるは遑あちず。 大阪控訴院に於いては、判事部長八人、判事三十一人、書記十六人、同 所
事八人、書記五人を置き、大阪地方裁判所に於いては、判事部長八人、 判事二十五人、書記三十一人、及び同所
事局
事十人、書記十一人あり。 又、大阪区裁判所に於いては、判事十三人、書記二十二人、執達吏十三人、 及び同所
事局
事九人、書記四人、その他、堺市、及び郡部は六箇所の 区裁判所ありて、是等の民刑事を扱ふものには、判事あり、
事あり、書 記あり、執達吏あり、然れども登記事務をのみ取扱ふものに於いては、
事を置かず、而して以上は皆、各その裁判区域を画せられ、其の職権は、 区裁判所は、違警罪及び軽易なる民刑事件に対する裁判権を有し、地方裁 判所は、区裁判所の、判決に対する控訴、及び区裁判所の管轄以外の民刑 事件に対する裁判権を有し、控訴院は、地方裁判所の判決に対する控訴、 及び区裁判所の判決に対する控訴に付きて為したる、地方裁判所の判決に 対する上告、並に地方裁判所の決定、また命令に対する法律に定めたる抗 告等の裁判権を有せり。