Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.5.22

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その68

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 是れより先、政府は、明治八年五月二十四日を以つて、大阪、及び東京、 長崎、福島の二府二県に、上等裁判所を設置せり。即、当地は、西大組第 十七区西道頓堀一丁目に新設し、同七月四日を以つて開庁し、四等判事松 本暢、在勤所長心得となり、翌九年四月十八日、第三大区第二小区土佐堀 四丁目に移転せり。 抑、本所は人民の院使府県に対する訴訟、及び地方裁判所の判決に服せざ るものゝ、謂はゆる控訴する所にして、後同十四年に至り、大阪控訴裁判        きよおかともはる 所となり、判事清岡公張所長となる。 降りて同廿三年一月二十七日、大阪控訴院、大阪始審裁判所、並に中ノ島 治安裁判所は、共に北区若松町新庁に移り、翌二十四年五月一日、天王寺 大阪区裁判所は、西匠土佐堀四丁目、元大阪控訴院趾に転じ、序いで同二 十五年四月二十一日、大阪区裁判所島ノ内出張所は、南区鰻谷東ノ町百七 十五番屋敷に移転せり。 同二十八年、大阪始審裁判所は、大阪地方裁判所と改称し、翌同二十九年 一月四日、焼失せしを以つて、同月七日、大阪区裁判所に移転し、又、同 年四月十六日、大阪区裁判所島ノ内出張所は、南区大宝寺町東ノ町百二番                             いとま 屋敷に転じ、後また移転すること屡にして、悉これを拳ぐるは遑あちず。  大阪控訴院に於いては、判事部長八人、判事三十一人、書記十六人、同 所事八人、書記五人を置き、大阪地方裁判所に於いては、判事部長八人、 判事二十五人、書記三十一人、及び同所事局事十人、書記十一人あり。 又、大阪区裁判所に於いては、判事十三人、書記二十二人、執達吏十三人、 及び同所事局事九人、書記四人、その他、堺市、及び郡部は六箇所の 区裁判所ありて、是等の民刑事を扱ふものには、判事あり、事あり、書 記あり、執達吏あり、然れども登記事務をのみ取扱ふものに於いては、 事を置かず、而して以上は皆、各その裁判区域を画せられ、其の職権は、 区裁判所は、違警罪及び軽易なる民刑事件に対する裁判権を有し、地方裁 判所は、区裁判所の、判決に対する控訴、及び区裁判所の管轄以外の民刑 事件に対する裁判権を有し、控訴院は、地方裁判所の判決に対する控訴、 及び区裁判所の判決に対する控訴に付きて為したる、地方裁判所の判決に 対する上告、並に地方裁判所の決定、また命令に対する法律に定めたる抗 告等の裁判権を有せり。


『大阪府誌 警察史』目次/その67/その69

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