Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.5.24

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大塩の乱関係論文集目次


『大阪府誌 警察史』

その70

大阪府 1903 より


◇禁転載◇

 今、左に維新以後、本府より発布せし訴訟上に関する、諸達を抄出すれ ば、従来、訴訟に際しては、訴訟当人の親族縁者その他の者、当人に附随 し来たりて、溜、又は、下宿等に於いて、徒に飲食をなし、冗費を本人に 負担せしむるがため、公事訴訟を見合はするものあり、又その甚しきに至 りては、開廷中、酒気に乗じ、非埋を徹せんとする者尠なからざるを以つ て、明治元年九月四日、関係役人の外、附添人を禁ぜり。 同二年九月十二日、東西両京の弾正台へ出訴の志念あるものは、封書を以 つて本府の目安箱に投入せしめ、本庁より之れを送達するの令を布き、尋 いで十一月八日、大法師(今の代言人)と唱ふる者の、人の訴訟を促し之 れに代はりて、訴廷に出づるを禁じ、翌三年四月九日、訴状裏書請、及び 原被の対決に際し、往々本人の虚病を構へて代人を差立つる者あるを禁じ、 尋いで、同七月四日、四組町々に達するに、旧幕時代に於いては、公事日 と称し、毎月二、七日の六回を以つて、公事開廷日と定められしが、以来、 体日を除くの外、毎日開廷すべきを以てし、又、大法師、一に口入抔と唱 へ、悪徒の公事訴訟に関係して、本人に訴訟を促がし、肩入と称し、出廷 して骨折料等を請求する事、なほ止まざるを以つて、同七月十九日に至り、 二たび之れを禁じ、若、溜等に於いて彷徨する者あらば、厳科に処すべき を令せり。 夫れより同四年正月、訴訟定則を改正して、曰はく、訴訟又は対決に際し ては、当人必出廷し、其の訴状には、町は年寄、在方は庄屋等の奥印を要 し、之なきものは、其の條理正当なるものと雖、之れを却下す。然るに年 寄庄屋にして、不平の理由ありて其の奥印を為さずは、之れを糾弾して、 臨機の処置をなすべく、亦、若、疾病老幼、若くは急訴等にして止むを得 ざるとき、代人を差立つるものは、予、その事由を審にして、申出づべし。 従来、取込金、売掛貸借金等の裁判日は、其の事情の、至急を要するもの と、否らざるものとを斟酌して、其の遅速を立てしが、向後是等の如何に 狗はらず、総べて出訴日より起算して、其の第三開廷日に対決せしめ、又、 判決後の償却金は、金銀其の他、物権の多少に仍りて、償却日の遅速を立 てしが、向後対決十日間の延期を允可し、若、其の期日に至りて償却せざ る者は、身代限に処す。訴状に裏判せしものを下付し、当日不参の本人は 勿論、近隣の者迄をも処罰す。又、府下の年寄、若くは庄屋の他、管下の 者を被告として訴訟するときは、年寄は大年寄、庄屋は年寄の奥印を要す と。 以上は、是れ改正訴訟定則の要項にして、又、諸商人の売掛代金停滞の如 き、たとへ買主の帳簿に記せしものゝ、買主の印形なきものといへども、 在来これを裁判に附せしが、翌五年正月に至り、之れに借主の印形なきも のは、其の事実の如何に拘はらず、無証拠の貸金銀と同じく、之れを裁判 に附せずとなせり。 又、旧藩主、旗下、華族、その他宮寺院の名目等にして、貸附けし米金の 訴状、及び証人、若くは聯帯借人の印形なく、只、本人一判のもの等は、 総べて裁判に附し得ざりしが、同五年四月、五月、及び六月を以つて、其 の証書あるものは、自今裁判に附し得る事となし、又、八月二日、投書法 を令せり。此の法は、元来諸人の訴訟せんとするものの、媒介なく、又媒 介を経がたきものゝ為に、目安箱、即、投書箱を、本府の庁前に備へたり しが、往々区戸長等の奥印を受けて、公然訴訟するに妨なきものといへど も、之れに投入し、其の規程を破るもの、甚多きを以つて、向後妄に投書 するものは、之れを焼却するに在り。再後、その職制條令、及び諸達等、 夥多ありといへども、司法省の所管後は、事の全国一般に関し、特に大阪 の裁判所として記すべきものなきを以つて、今は爰に之れを費せす。


『大阪府誌 警察史』目次/その69/その71

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