Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.9.29

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『二十三年未来記』
その11

柳窓外史(小柳津親雄)

今古堂書房  1883

◇禁転載◇

○内閣の更迭を促すの論を唱ふ (1)

管理人註
  

斯くて議員は都下に相集る、是より先き、上議院招集の事もある可し、上 院は今の元老院を以て、直ちに之を充てらる可れば、其議員は特撰議員に して天皇陛下の親任し玉ふ所のもの、則ち皇族より数名、華族より数名、 曾て顕官にありし者、及び学識あるものと、之に公撰の議員を加ふ、其は 憲法に記せし如くなる可し、則ち  皇族より親任せられ玉ふ方々     若干名  華族中の人物より撰まるゝもの    若干名  曾て勅奏任の官にありて勲功あるもの 若干名  学識を以て名誉を得たるもの     若干名  上院撰挙区より挙げられたる議員   若干名 右等より大体組織せられ、是も亦た国会院(下院)と共に開かる可し、是 より先き、政府にては東京府内中央の地を撰んで一大議事堂を新築す、議 場の如きは、一席四百余人の議員を列席するが上に、数千人の傍聴人を容 る可き程の大建築にして、最ね宏壮美麗を極めたるものなり、日本帝国、 元気国脈の鍾まる所、一国の立法大権の在る所、決して麁末なる堂宇を用 う可らず。さて議員の来着は、予て天皇陛下より仰出されたる時にある可 し、已に定められたる期日に至りて、いよ/\開院式と言ふに至れば、全 国の人民、皆な国旗を掲げ各々職業を休み、大祭日の式の如くにして、陛 下の万歳を祝し奉り、国家の安寧を祈る、斯て当日に至れば、天皇陛下に は大礼服を召させられ、最高等の御儀式によりて、六匹立の馬車、儀杖に は近衛兵一大隊、皇族、大臣、参議、各省の長官、待従長等扈従し奉る、 何れも大礼服着用なる可し、元老院議員、国会院議員も亦た大礼服着用に て、議事堂は限りなき装飾をなし、善を尽し、美を尽し、用意万端備はれ ば、陛下親臨ありて、開院の式を行はせらる、元老院は、現に行はるゝも のを引直さるれば、左程の儀式にも及ばざれとも、国会院は日本建国二千 五百余年、未曾有の盛事なれば、最も盛んなる式ある可し、陛下、中央に 出御ありて、勅語ある可し、議員中より撰らまれたる総代は、各議員に代 て答辞を奉る、此れにて式畢り、当日、直ちに発会にはならざる可し、偖 ていよ/\発会となれば、仮りに某を議長として、議長、副議長を撰挙す るなるが是は余程面倒なる可し、互に己れが党の総理、又は社長なんど を挙げんとするものあり、又は某は何々の官にありたれば、必ず賢良の士 なる可し抔と思ふもありて、一時は心配するなるが、其時の議長は、今 日の人を以てすれば、後藤象二郎氏乎、板垣退介氏ならん、後藤氏の議事 に老練なるは、人の許す所なれば、氏、其撰に当る可き乎、板垣氏は議事 に功者なるの聞へもなければ、いかゞならんか、又た次には陸奥宗光、河 野敏鎌の二氏の中にあらんとも思はるれど、先づ後藤氏に札が這入るなる 可し、議長もいよ/\定まる、議事に掛ると云ふ一段になれば、先刻も申 た通り、内閣より出でたる議案は、全く来年の国税支出徴収の予算にあら ば、其時何れの議員か、多少の不安を鳴らす者ある可し、或は左の如き発 議をなすに至らん









曾(かつ)て


























鍾(あつ)まる






























畢(おわ)り
















河野敏鎌
(こうのとがま)
1844- 1895年
明治時代初期の
藩閥政府の政治
家、大隈らとと
もに立憲改進党
を結党する、枢
密顧問官として
憲法の審議にあ
たる、内務大臣
などを歴任


『二十三年未来記』目次/その10/その12

「大塩の乱関係論文集」目次
玄関へ