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斯くて議員は都下に相集る、是より先き、上議院招集の事もある可し、上
院は今の元老院を以て、直ちに之を充てらる可れば、其議員は特撰議員に
して天皇陛下の親任し玉ふ所のもの、則ち皇族より数名、華族より数名、
曾て顕官にありし者、及び学識あるものと、之に公撰の議員を加ふ、其は
憲法に記せし如くなる可し、則ち
皇族より親任せられ玉ふ方々 若干名
華族中の人物より撰まるゝもの 若干名
曾て勅奏任の官にありて勲功あるもの 若干名
学識を以て名誉を得たるもの 若干名
上院撰挙区より挙げられたる議員 若干名
右等より大体組織せられ、是も亦た国会院(下院)と共に開かる可し、是
より先き、政府にては東京府内中央の地を撰んで一大議事堂を新築す、議
場の如きは、一席四百余人の議員を列席するが上に、数千人の傍聴人を容
る可き程の大建築にして、最ね宏壮美麗を極めたるものなり、日本帝国、
元気国脈の鍾まる所、一国の立法大権の在る所、決して麁末なる堂宇を用
う可らず。さて議員の来着は、予て天皇陛下より仰出されたる時にある可
し、已に定められたる期日に至りて、いよ/\開院式と言ふに至れば、全
国の人民、皆な国旗を掲げ各々職業を休み、大祭日の式の如くにして、陛
下の万歳を祝し奉り、国家の安寧を祈る、斯て当日に至れば、天皇陛下に
は大礼服を召させられ、最高等の御儀式によりて、六匹立の馬車、儀杖に
は近衛兵一大隊、皇族、大臣、参議、各省の長官、待従長等扈従し奉る、
何れも大礼服着用なる可し、元老院議員、国会院議員も亦た大礼服着用に
て、議事堂は限りなき装飾をなし、善を尽し、美を尽し、用意万端備はれ
ば、陛下親臨ありて、開院の式を行はせらる、元老院は、現に行はるゝも
のを引直さるれば、左程の儀式にも及ばざれとも、国会院は日本建国二千
五百余年、未曾有の盛事なれば、最も盛んなる式ある可し、陛下、中央に
出御ありて、勅語ある可し、議員中より撰らまれたる総代は、各議員に代
て答辞を奉る、此れにて式畢り、当日、直ちに発会にはならざる可し、偖
ていよ/\発会となれば、仮りに某を議長として、議長、副議長を撰挙す
るなるが是は余程面倒なる可し、互に己れが党の総理、又は社長なんど
を挙げんとするものあり、又は某は何々の官にありたれば、必ず賢良の士
なる可し抔と思ふもありて、一時は心配するなるが、其時の議長は、今
日の人を以てすれば、後藤象二郎氏乎、板垣退介氏ならん、後藤氏の議事
に老練なるは、人の許す所なれば、氏、其撰に当る可き乎、板垣氏は議事
に功者なるの聞へもなければ、いかゞならんか、又た次には陸奥宗光、河
野敏鎌の二氏の中にあらんとも思はるれど、先づ後藤氏に札が這入るなる
可し、議長もいよ/\定まる、議事に掛ると云ふ一段になれば、先刻も申
た通り、内閣より出でたる議案は、全く来年の国税支出徴収の予算にあら
ば、其時何れの議員か、多少の不安を鳴らす者ある可し、或は左の如き発
議をなすに至らん
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曾(かつ)て
鍾(あつ)まる
畢(おわ)り
河野敏鎌
(こうのとがま)
1844- 1895年
明治時代初期の
藩閥政府の政治
家、大隈らとと
もに立憲改進党
を結党する、枢
密顧問官として
憲法の審議にあ
たる、内務大臣
などを歴任
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