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右の諸原素を探求するに誤つことなくば、米価のミ低を予言する事、敢て
至難にあらず、只此等の原素を探求す可き充分の識力なきにより、終に妄
断を免れさるに至る、社会の事、亦此の理に外ならざる也
古へより予言者の言を信ずる者、独り西教上にのみあるに非ず、楠氏の伝
を読むに、左の事あり
正成復軍 天王寺 数出耀 兵。令 軍中 禁 鹵掠 。遠近帰 心多 来属者 。
正成威振 京畿 。寺旧蔵 有上宮太子識文 。正成請 僧発視 之。文有 曰
当 人皇九十五代 天下一乱而主不 安此時東魚来呑 四海 日沒 西天 三百
七十日。西鳥来食 東魚 。海内帰 一。三年如 猴 者掠 天下 三十余年
大凶変帰 一元 。正成指而諭 衆曰所 謂九十五代非 今上 耶、東魚乃高
時而為 西鳥所 食則終帰 族滅 耳。日沒 西天 、三百七十日。上之復 辟、
蓋在 明春 。諸君勗 之、衆皆奮勵。
是れ聖徳太子の予言、未来記なるものなり、然れとも、いかに太子高遠の
識見を有し玉ふと雖も、人智を以て七百三十余年以後を予言する事、信す
可らず、是れ則ち楠氏の計畧に出るものにして、織田信長が今川治部を鳴
海に討つに方りて、熱田神宮に輿の音を聞きたるが如く、新田左中将が太
刀を海底に投して潮を引かしめたりと言ふが如き、皆な一時兵士を鼓動す
るの計畧なり、楠氏の策、亦此に外ならず、之を真の予言者なりとするは
過れり
此に小柳津柳窓、二十三年未来記なる者を著す、其書、一時の戯述と雖も、
大に見る可きものあり、柳窓、余に言て曰く、吾輩此の未来記を著すや、
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専ら古今の歴史上に生したる現象と其の原因の分子とを探求し、最も学問
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上の方法を以てせりと、余曰く、果て然らは、真に予言者の言たる可し、
余必す子か予想の実地に照して齟齬せさるを信す、宜く天下に公にし、以
て公私の為に未来の方向を誤らしめさる を要す可し、と柳窓、則ち諾し、
余に緒言をもとむ、余、直ちに未来の事、予言する を得可きの説を作り、
則ち之を序とす
柳窓外史の為に 十六年の春 菊 亭 静 誌
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西教
(せいきょう)
キリスト教
出典は
「日本外史」
卷之五
猴
(ごこう)
大猿
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