Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.9.21

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「大塩の乱関係論文集」目次


『二十三年未来記』
その3

柳窓外史(小柳津親雄)

今古堂書房  1883

◇禁転載◇

序 (3)

管理人註
  

右の諸原素を探求するに誤つことなくば、米価のミ低を予言する事、敢て 至難にあらず、只此等の原素を探求す可き充分の識力なきにより、終に妄 断を免れさるに至る、社会の事、亦此の理に外ならざる也 古へより予言者の言を信ずる者、独り西教上にのみあるに非ず、楠氏の伝 を読むに、左の事あり  正成復軍天王寺数出耀兵。令軍中鹵掠。遠近帰心多来属者。  正成威振京畿。寺旧蔵有上宮太子識文。正成請僧発視之。文有曰  当人皇九十五代天下一乱而主不安此時東魚来呑四海日沒西天三百  七十日。西鳥来食東魚。海内帰一。三年如者掠天下三十余年  大凶変帰一元。正成指而諭衆曰所謂九十五代非今上耶、東魚乃高  時而為西鳥所食則終帰族滅耳。日沒西天、三百七十日。上之復辟、  蓋在明春。諸君勗之、衆皆奮勵。 是れ聖徳太子の予言、未来記なるものなり、然れとも、いかに太子高遠の 識見を有し玉ふと雖も、人智を以て七百三十余年以後を予言する事、信す 可らず、是れ則ち楠氏の計畧に出るものにして、織田信長が今川治部を鳴 海に討つに方りて、熱田神宮に輿の音を聞きたるが如く、新田左中将が太 刀を海底に投して潮を引かしめたりと言ふが如き、皆な一時兵士を鼓動す るの計畧なり、楠氏の策、亦此に外ならず、之を真の予言者なりとするは 過れり 此に小柳津柳窓、二十三年未来記なる者を著す、其書、一時の戯述と雖も、 大に見る可きものあり、柳窓、余に言て曰く、吾輩此の未来記を著すや、   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・ 専ら古今の歴史上に生したる現象と其の原因の分子とを探求し、最も学問 ・・・・・・・・・ 上の方法を以てせりと、余曰く、果て然らは、真に予言者の言たる可し、 余必す子か予想の実地に照して齟齬せさるを信す、宜く天下に公にし、以 て公私の為に未来の方向を誤らしめさるを要す可し、と柳窓、則ち諾し、 余に緒言をもとむ、余、直ちに未来の事、予言するを得可きの説を作り、 則ち之を序とす   柳窓外史の為に 十六年の春   菊 亭 静 誌







西教
(せいきょう)
キリスト教


出典は
「日本外史」
 卷之五






(ごこう)
大猿


























 


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