Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.9.25

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「大塩の乱関係論文集」目次


『二十三年未来記』
その7

柳窓外史(小柳津親雄)

今古堂書房  1883

◇禁転載◇

○第二 改革の事 (2)

管理人註
  

うぬ取れるなら取て見よ。をゝ取れなくつてどう成るもの乎と向ふ、鉢巻 で掛るように成つては、国家の大騒動お互の為にあらず、腕の力強きもの に巻揚げらるゝ迄の落着にて、甚だ雑風景の仕事なり、斯くては亦復讐と 出かけ、恰も仏国が八十余年に二十余回、政府が替た様な有様に到るなる 可し、之を国家の幸福とは言ふまじきなり、今日の自由平等を主義とする 有志者は、己れが言ふ如く、参政の権を与へらるれば、其れで満足し、何 事も国家安全の為を思ひ、着実を旨とするものならんには、欽定憲法であ れ何であれ、不平もあるまじ、良しや不平がありしとて、之を口実として 騒ぎ廻る様な麁暴な事もなすまじけれど、今の有志者たる者、皆な参政権 で満足するものと思はゝ、大なる油断ならん、余は、身を閑地に置きて、 政治海へ立入らねば、遠慮も会釈もいらぬ■なれば申すなり、而してケ様        はびこ の政党が所々に蔓延り、どれも/\表向きは自由民権で、内実は一目論見 あるもの計りならんには、尋常一様の準備にて埒明く可しとも思はれず、               う か      ・・・・・・・・・・・・・ 此の点の所が最も大切にて、迂架とすれば、飛んだ改革を人民より迫り立 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ て、其実己れが取て代らんとするの策に乗せらるゝ乎も亦た知り難し、さ れば政府にては之を遇するに、最も大度量を以てし、彼より望まぬ先に吾 より之を与ふると云ふ、順序出掛け政党法見込にては、二十三年には必ず 欽定憲法を以てせらるゝならん、若しも左様なる場合に至らば、吾党人民 は、決して黙止す可らず杯と威張立て居る所を、此方では却て裏より出掛 け。それ国約憲法でやつて遣はすぞと、頭から呑で掛り玉ふ様なれば、政 党は落胆し。いや国約と来たか、其れでは致方がないと、閉口するが如き は、勿論の事ならん、万事此の調子でゆけば、先から改革/\と騒がぬ内 に、政府自ら至当の改革をなして、彼輩に鼻あかせ、終に人民より一歩/\ と先へ進み、恰も明治一二年より七八年頃の政畧の如くなれば、如何かに 政党が威張りたりとも、取合ふものもなく、如何かに攻撃せんとするも、 責道具なく、終に政府に降参して、官民調和と言ふ迄に達するならん。若                             ば か し亦之に反して、政府は飽まで自ら尊大にして、人民、未だ蒙昧なり、未 だ進歩せざるなりと号し、人民の騒ぎ立るが、騒々しくてならぬより、止 むを得ず参政の権を与へねばならぬ、国会も拠ろないから開こうと言ふ体        しほびき にて、貧乏人が塩鮭を切て喰ふが如く、少しづゝ切ては遣り。切ては遣り、 当年一寸の権を与ふれば、来年亦た一寸を与へ、其の次の年、亦一寸と言 ふやうにやらかす時は、政党の胸に一物ある連中は、好機会なり、此所て 思入れ、騒げ/\と暗雲人民を煽動し、善となく悪となく、政府の処置を ひ ぎ    ざんぼう 誹議し、讒謗し、愈々官民離間の謀を逞ふするに至るも、亦た未だ知る可 らず、愈々左様な事になれば、終には竹槍を以て改革を迫る様な事になり、 大政変を見ざれば、止まざる可し、是れ以の外の事にして、国家の大不幸 と言ふものなり、万一此の騒動を見ずして治まるも、矢張り官民調和と云 ふ大段落となるやも知れざれと、民間の勢力強大にして政府に迫るの勢ひ あり、改革をなすの力を転して、調和したるならば、調和の後も民間の勢 力減ぜずして、矢張り国家の不為たるに至らん、兎角権力は偏重せざるを よしとす、上に偏するも、下に偏するも、共に得策にはあらざるなり。故 に到底改革を要するならば、政府に於て早く自ら改革に従事せらるゝを善 しとす、是れ二十三年に至るの道中に於て、最も大切なる駅路なり、汝も 亦た然思はすやと説きたれける


誹議
批判すること

離間
仲たがいさせ
ること

逞(たくまし)ふ




















 


『二十三年未来記』目次/その6/その8

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