Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.9.27

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「大塩の乱関係論文集」目次


『二十三年未来記』
その9

柳窓外史(小柳津親雄)

今古堂書房  1883

◇禁転載◇

○第四 国会招集 (1)

管理人註
  

夫れ理論上にのみ依頼すれは、論者学士は大に賛成称美す可しと雖も、政 治上の事は単純の理論にのみ則る可きものにもあらず、斯く言はゞ、今の 論者は不平なる顔色をなして余を咎むるならん、然れとも政治上の貴む所         ・・・・・・・ は、実際に施して至妙至味の効験を見るにあり、学士論者の只管に理論 を尚ぶと同じからざるなり、試に見られよ、政理上より見た所では、共和 国政治程理論を旨としたるものはあるまじ、早く言はゞ、共和は天理に近 ものにして、天賦の政権を直接に活用するものなり、然れとも共和政体た りとも、今一歩進んで論ずるときは、真に政理適したるものにあらず、共 和政にては、人民何れも投票を以て代議士を撰み、之をして人民に代て政 事を議せしめ、大統領と言ふものを撰て、行政の大権を執らする事なり、 矢張り政治の権は、一人に属するものにて、人民は直ちに政治に関する       かつこ 能はず、若し確乎動す可らざる政理上よりすれば、人民自ら政治を執るに あらざれば、固有の参政権を活用するものとは言ふ可らず、是れ真正の理 論に及ばざる所なり、所が此の論をして実地に行はんとする事は、実に難 きのみならず、却て大に差支が出来るなり、例へば三千五百万人民の内 に、参政権を有するもの五百万人ありとすれば、此の人々は日々政府に集 りて政務を取る可きや、亦た集まらざるも、政務を一々投票して決す可き 乎、日々の政務を五百万の投票にて決する、迚も出来るにあらず、去 れは投票の方や、直接に政務を執るが政理に適せりとて、之を行ふ可き にもあらず、共和政治にてすら充分の政理に拠るは叶はざる所なり、 故に政治上のは理論を以て原則とする許りにも参らず、其の中庸を取り て実際に至味至妙の功能を現はさしめねはならすなり、故に今推察して 記したる憲法にては、国会開くるの後に至り、政党連中の気に喰はぬが 出来て、多少の騒動もなきにあらざる可しと雖も、其時に至つて、議員の 人々は、強ち理論計りて根拠として争はぬ様にすれば、左程の大事もある まじ、政談家、新聞記者なぞの言ふ所は、多く西洋より持込の理論にして、 之を直に行はんとするが如し、此の了筒を以て二十三年に至れば、必ず一 二の紛議を生ずる、目前にあり、余の察する所にては、政府の意は、左 様の憲法を以て、最初第一期の国会は、先づ歳出入の予算丈を議さする事 ならん、人民未だ政治上の経験に乏し、直に大政に参与せしむるは、小児 に義宗の刀を托するが如し、人を傷けるか、己れが傷くる乎の二つに出て ず、未だ利刀を活用するの法を知らず、故に先づ国税の徴収法、支出予算 等を議する迄となし、国会は国税を以て支弁す可き経費の予及び其徴収 方法を議定するものと定め、国会は経費の予算を議するに止まりて、事業 の興発起源性質等に論及するを得す杯と言ふ、着実極まりたる方法を以て、 開設せらるゝに至ならん乎、此の場合に臨めば、予て何か政府に穴のあれ かじと待搆へたる有志者は、忽ち政府を攻撃せんと出掛け、凡そ四百人も 相会したる大議院中、俄かに議論百出して、騒然たる有様に至るやも知れ        ・・・・・・・・・・・・・ ざれど、是れ亦已むを得ざる勢ひと言ふ可し








只管
(ひたすら)




































至味
この上もない
よい味

至妙
この上なくす
ぐれてたくみ
なこと

強(あなが)ち


















(よさん)
予算


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