Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.9.18/10.16最新

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「大塩の乱関係論文集」目次


『洗心洞詩文』 その1

大塩後素遺藁 中尾捨吉編纂

船井政太郎 1879

◇禁転載◇

上巻(1) 題言

管理人註
  

            (野口照夫氏による訓読と解説) 題言   【印 南蘋】 大塩子起、立志於文恬武煕之日、憤於歳歉民飢之時、挙事暴激以斃 其身、要亦人傑也、已子起修学簡易詩文不太工、而中尾某編次其詩文 欲以梓之、乞予題言其意謂、是観子起慷慨激切之気象者、在于此不 太工之中也、然而編首有論伝、子起之事固已詳矣、豈復待予贅哉、聊 書数語以塞其責耳、 明治第十三年第一月 海南迂識于蒼龍老畔并書     版心に「従四位福岡孝弟公題言」とある


【読み下し】 題言    *1 ぶんてんぶき*2               けん*3 大塩子起、文恬武煕の日々に於いて志を立て、歳々の歉に民飢うるの 時、憤りを発して、事を挙げ暴激し、以て其の身斃る、要するに亦た  *4                        *5 人傑なり。已に子起は学を修むれども、簡易なる詩文は太工ならず。        *6       *7 而うして中尾の某は其の詩文を編次し、以て之を梓せんと欲す。乞う らくは、予の題言、其の意の謂たるを。是に、子起の慷慨激切の気象 は、蓋し此の太工ならざるの中に在るを観るなり。然うして編首に論           もと      つまびらか     あに ま     ぜい 伝有り。子起の事は、固より已に詳なるか、豈復た予が贅を待たんや。 聊さか数語を書し、以て其の責を塞ぐのみ。 明治第十三年第一月  *8  *9  *10    ほとり 海南の迂弟、蒼龍の老ゆる畔にて識るし、あわせて書す。  * * * * * * * * * * * * * * *         あざな *1 子起= 大塩の字。『洗心洞詩文 論伝』の中に、「姓は大塩、諱   は後素、字は子起、平八郎と称し、中斎と号す」とある。 *2 文恬武煕= 世が平和で文官も武官も喜び楽しむこと(韓愈の言)。 *4 人傑= 人に勝れた傑物。 *3 歉= 収穫の不足、飢饉。 *5 太工= 甚だしい巧者、大上手。 *6 中尾の某= 編著者、中尾捨吉。 *7 編次= 順序をととのえて並べること。 *8 海南= 土佐。 *9 迂弟= 福岡孝弟の謙称。大塩よりも遙かに年下の後輩の意を込   めたか? 。 *10蒼龍= 黒いたてがみ豊かな巨馬、年老いて曲がりくねった松。   ここでは後者か?  * * * * * * * * * * * * * * * この題言文は、編著者、中尾捨吉に替わって、従四位福岡孝弟によっ て作られ、且つ書されたことが原本頁左端(版心)に記されている。 また、「題言」の真下に福岡の雅号「南蘋」の印判があり、それと知 れる。故に編著者を「中尾某」と記した。福岡孝弟は元土佐藩士、 『五箇条御誓文』起草者の一人。明治政府顕官、子爵、最高位は従一 位。大塩の没時、三歳であった福岡と大塩とは直接の関係はない。中 尾は土佐藩における福岡の後輩。土佐陽明学を学んだという中尾は、 本邦陽明学の泰斗で、救民を志した大塩を尊敬していたのであろう。 『洗心洞詩文』の上梓に際し、藩の先輩で既に従四位の高官であった 福岡に題言執筆を依頼したものと推察する。 網掛け(ここではゴシック体)の「発」、「蓋」、及び「弟」は原本 では難読であったが、福島孝夫氏により判読され、その教示を得た。    なお誤読のあり得ること、気付いた方はご教示を願いたい。
  
 


『洗心洞詩文』目次/その2

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