○日本災異志 (五一頁以下)
是歳全国飢饉奥羽最甚(古老実験)
天保四年癸巳春の気候不順なり。四月中旬より日輪朝暮丹の如く光なし。
霧深きやうにて正陽の月陰気勝にて、五月より六月土用に至り袷を用ふる
事なり。
八月朔日大風にて処々立家等吹き潰れしこと多く、両三日なり東北風強
し、追々南西風吹き終に北風となる。九月両三度地震あり、今年凶年なり。
十二月二十三日夜大雪凡三尺余降り積り、道中にて溺れ死にこれあり、竹
木悉く折れ損じたり。明る春二月まで雪あり、金両に付き米六斗二升より
五斗四五升まで、十二月四斗五明る午年五月四斗なり、同五年甲午気候よ
ろしく大豊作なり。初冬より寒中雨雪少し。
同六年乙未春雨雪少し、追々気候不順にして五六月冷気にて違作なり。
冬雪降らず寒気薄く、十二月中の頃、日向の畑に付附けたる菜種の花吹き、
西風など一切なく悉く暖気なり。寒中少しも氷らず、金一両に付米七斗四
五升より追々上り、明る申年六月六斗なり。前條の通り追々違作続きし故
に穀物高価となりし事。
同七年丙申春雨雪なく気候不順なり。日和少く曇り、四月下旬頃朝暮冷
気又は晴れたる日などは二三月頃の如し。悉く濛気をなし、霧の深きやう
なる時もあり、日々北風ありて五月となり。中の頃雨降る節は焚き火に当
り、田植え等の節は夕方は手足悉く感ずることあり、六月土用となり日々
曇り北風ありて冷気、朝夕は綿入を用ゆる時あり、六月十四日より少し晴
れ、同十五十六日晴れ、暑中の事故に少し汗を発する体なり。同十七日よ
り冷気にて曇り晴天といふことなし。二百十日となりし処漸く早稲の穂出
て、何分日和なき故に実入り難し。中稲もそれに続いておくれ、晩稲は猶
追々出穂おくれになり、八月彼岸になり稲穂出る故にすて立ちとなり実の
らず。九月下旬大霜ふりて氷りたる故に粃となり、田畑諸作物共に実のら
ざる故諸国凶作大飢饉となる。其秋の半の相場金一両に付き米三斗二升五
合より二斗三升作。
(農商工公報)(栃木県下野国河内郡駕蒲生村老農田村吉茂日記)
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