Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.3.4

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『飢饉資料』(抄) その2

司法省刑事局編・刊 1932

◇禁転載◇

第二章 近世の三大飢饉
 第三 天保の飢饉
  二 東北地方(1)

管理人註
  

イ 異聞雑稿 (続燕石十種 第二八頁以下)  ついでにしるす。このたびの荒饑は出羽の山形最上領、并に南部津軽に 過たるはなかるべし、南部津軽にて餓孚の光景を伝へ聞くに、都て天明の 荒飢の折に異なることなし、津軽領は四五月比稲の苗立十分によかりしか ば、当秋は豊作なるべし、米穀の価貴ければ皆売るべしとて、あらん限り 糶出せしに、夏土旺中より霖雨冷気にて、稲のたけは伸びたれども聊かも 花をもたず、九十月の比津軽領を過ぎしものゝ話に、稲はなほ青々として ありながら、穂といふものは一つもなかりしと也、諸州大かたこのたぐひ なるべし、件の領分にて窮民等裸体に股引のみをはきて、五人十人づつ路 頭にたゝづむ者多かり、聞くに彼等は衣を売り、雑巾をうり、田地も家も 売尽してせんかたなきまゝに、路頭にさもまよふもの也とぞ、所云野に餓 孚あり民に飢色ありと聞えしにも過ぎたり、冬十月比津軽領の窮民三百幾 十名の餓死おん届ありと聞ゆ、そのゝちもさぞありけんかし、冬より甲午 の春に至りて、江戸に菰かぶりといふ乞丐多くなりたり、皆是他郷の窮民 なるべし、此もの等往々行たふれて、市中に餓死するあり、いよいよ憐む べし。  松前は米穀不毛の地なれば、常に津軽米を買入るゝことなるに、津軽南 部は右のごとくなれば、松前も亦餓たり、八九月の比より貯へなきものは、 醤油に事をかきて、魚肉蔬菜ともに塩煮にして食へり、むかしより醤油は、 津軽より月毎に船に積送るを良賤日用にする故也、只醤油のみならず、米 穀も運送絶へたれば、九十月の比より松前の米相場四斗苞一ツを、銭十五 貫五六百文に換るといふ、江戸の相場もて金になほせば金二両二分余に当 れり、天明の荒餓の折は、米四斗一俵の価銭十貫文なりしに、このたびは 五貫五六百文貴しと故老いへり、この故に彼地の窮民等山に入りて蕨の根 を掘採りけるに、是迄にさる事をせざる故にや、松前箱館両所の山より採 出したる蕨根苞余に及べりとぞ、蕨の根は毒あるもの也、よく水簸して毒 を除かざれば、その毒なきことをえず、いかにして啖ふやらん、よく教る ものなくば、後に病むことありぬべし、嗚乎。











(ころ)



(うりよね)
貯蔵してある
米を時機をみ
て売り出すこ
と、またその
米














乞丐
(こつがい)
物乞いをする
こと、またそ
の人

























水簸
(すいひ)
水であくとり
をする

啖(くら)ふ


『飢饉資料』(抄)目次/その1/その3

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ