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イ 異聞雑稿 (続燕石十種 第二八頁以下)
ついでにしるす。このたびの荒饑は出羽の山形最上領、并に南部津軽に
過たるはなかるべし、南部津軽にて餓孚の光景を伝へ聞くに、都て天明の
荒飢の折に異なることなし、津軽領は四五月比稲の苗立十分によかりしか
ば、当秋は豊作なるべし、米穀の価貴ければ皆売るべしとて、あらん限り
糶出せしに、夏土旺中より霖雨冷気にて、稲のたけは伸びたれども聊かも
花をもたず、九十月の比津軽領を過ぎしものゝ話に、稲はなほ青々として
ありながら、穂といふものは一つもなかりしと也、諸州大かたこのたぐひ
なるべし、件の領分にて窮民等裸体に股引のみをはきて、五人十人づつ路
頭にたゝづむ者多かり、聞くに彼等は衣を売り、雑巾をうり、田地も家も
売尽してせんかたなきまゝに、路頭にさもまよふもの也とぞ、所云野に餓
孚あり民に飢色ありと聞えしにも過ぎたり、冬十月比津軽領の窮民三百幾
十名の餓死おん届ありと聞ゆ、そのゝちもさぞありけんかし、冬より甲午
の春に至りて、江戸に菰かぶりといふ乞丐多くなりたり、皆是他郷の窮民
なるべし、此もの等往々行たふれて、市中に餓死するあり、いよいよ憐む
べし。
松前は米穀不毛の地なれば、常に津軽米を買入るゝことなるに、津軽南
部は右のごとくなれば、松前も亦餓たり、八九月の比より貯へなきものは、
醤油に事をかきて、魚肉蔬菜ともに塩煮にして食へり、むかしより醤油は、
津軽より月毎に船に積送るを良賤日用にする故也、只醤油のみならず、米
穀も運送絶へたれば、九十月の比より松前の米相場四斗苞一ツを、銭十五
貫五六百文に換るといふ、江戸の相場もて金になほせば金二両二分余に当
れり、天明の荒餓の折は、米四斗一俵の価銭十貫文なりしに、このたびは
五貫五六百文貴しと故老いへり、この故に彼地の窮民等山に入りて蕨の根
を掘採りけるに、是迄にさる事をせざる故にや、松前箱館両所の山より採
出したる蕨根苞余に及べりとぞ、蕨の根は毒あるもの也、よく水簸して毒
を除かざれば、その毒なきことをえず、いかにして啖ふやらん、よく教る
ものなくば、後に病むことありぬべし、嗚乎。
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比
(ころ)
糶
(うりよね)
貯蔵してある
米を時機をみ
て売り出すこ
と、またその
米
乞丐
(こつがい)
物乞いをする
こと、またそ
の人
水簸
(すいひ)
水であくとり
をする
啖(くら)ふ
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