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米一升を二升に炊く伝 奥田孫平 知春著述
此に人数六十万人と見て、一人の飯料四合あてにして、一日の石高二千四百石
なり、今伝ふる所の法を用ふれば、一日二千石喰延すなり、此石高一年分四千三
万二千石なり」、飯の炊き様、米を洗はず、「ホウロク」にていり、一升を二升
に炊くなり」、米一升に水二升五合を湯にたぎらし、米洗はず、狐色にいり、其
まゝ湯玉の立つ所へ入れ蓋をして直様焼火を引き、残火ばかりにて能々うまし、
用ふべし、疑ふことなかれ」、黒米一升いり一夜水につけをき、白米一升と各等
分、常の通りにたきてもよし」、太平の御代に生れて教を守らずんば禽獣に斉し
かるべし、農工商医と其家に生るゝも天命なり、此の御恩を報ぜんと欲せば、我
一分の利徳に拘らず、農人は田畦を天とし事て精力をつくし、医者は病人を天と
し事て仁術を施し、商工は買ひ先を天とし事て日輪の世界を照すがごとく、各家
業を専ら務る時は、禄其中に在て何の不足かこれ有ん、汗滴禾下土粒々皆辛苦、
米穀不熟不作も我が務の悪きゆへと愈慎み、正路に行へば万々世子孫も安かるべ
し、太田錦城は一日の飯料米二合也、徳本上人は、一日の飯料蕎麦の粉一合也、
最も長寿にして、其名天下にあらはる有難き事にあらずや」、米一升に水二升五
合を湯にたぎらし、米洗はず、狐色にいり、其儘湯玉のたつ所へ入れ、蓋をして
直様焼き火を引き、残火はかりにて能々うまし用ふべし、疑ふことなかれ」、黒
米一升いり一夜水につけおき、白米一升と各等分、常の通にたきてもよし」、
是れ余が算学の師竹田無量斎より天保丙申残臘伝へらるゝ所なり、
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太田錦城
(1765-1825)
江戸後期の儒学者
加賀の人
徳本上人
(とくほんしょうにん
1758-1818)
江戸時代後期の
浄土宗の僧
紀伊生
天保丙申
天保7年(1836)
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