Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.5.4

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「大塩の乱関係論文集」目次


『飢饉資料』(抄) その113

司法省刑事局編・刊 1932

◇禁転載◇

第四章 飢饉の私的対策
 第一 代用食
   〈三〉粮食調理法(備荒録 一一一頁以下)
     一 甘藷外五十六項(9)

管理人註
  

       米一升を二升に炊く伝 奥田孫平 知春著述  此に人数六十万人と見て、一人の飯料四合あてにして、一日の石高二千四百石 なり、今伝ふる所の法を用ふれば、一日二千石喰延すなり、此石高一年分四千三 万二千石なり」、飯の炊き様、米を洗はず、「ホウロク」にていり、一升を二升 に炊くなり」、米一升に水二升五合を湯にたぎらし、米洗はず、狐色にいり、其 まゝ湯玉の立つ所へ入れ蓋をして直様焼火を引き、残火ばかりにて能々うまし、 用ふべし、疑ふことなかれ」、黒米一升いり一夜水につけをき、白米一升と各等 分、常の通りにたきてもよし」、太平の御代に生れて教を守らずんば禽獣に斉し かるべし、農工商医と其家に生るゝも天命なり、此の御恩を報ぜんと欲せば、我 一分の利徳に拘らず、農人は田畦を天とし事て精力をつくし、医者は病人を天と し事て仁術を施し、商工は買ひ先を天とし事て日輪の世界を照すがごとく、各家 業を専ら務る時は、禄其中に在て何の不足かこれ有ん、汗滴禾下土粒々皆辛苦、 米穀不熟不作も我が務の悪きゆへと愈慎み、正路に行へば万々世子孫も安かるべ し、太田錦城は一日の飯料米二合也、徳本上人は、一日の飯料蕎麦の粉一合也、 最も長寿にして、其名天下にあらはる有難き事にあらずや」、米一升に水二升五 合を湯にたぎらし、米洗はず、狐色にいり、其儘湯玉のたつ所へ入れ、蓋をして 直様焼き火を引き、残火はかりにて能々うまし用ふべし、疑ふことなかれ」、黒 米一升いり一夜水につけおき、白米一升と各等分、常の通にたきてもよし」、 是れ余が算学の師竹田無量斎より天保丙申残臘伝へらるゝ所なり、

太田錦城
(1765-1825)
江戸後期の儒学者
加賀の人

徳本上人
(とくほんしょうにん
1758-1818)
江戸時代後期の
浄土宗の僧
紀伊生

天保丙申
天保7年(1836)


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