Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.3.24

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『飢饉資料』(抄) その21

司法省刑事局編・刊 1932

◇禁転載◇

第三章 飢饉の公的対策
 第二 近世三大飢饉の対策
  (三)天保の対策
    二 藤堂高献農官を諭す (大日本農政類編、賑済七三頁以下)

管理人註
  

 同年の夏、藤堂和泉守高献親しく文を撰て其の農官に諭して曰はく、民 は是れ邦の本なり、人主は之を愛せざるべからず、歴世の名君皆民情に通 ずるを以て務めとなす、是を以て百姓悦服す、余政治に志すと禹も深室に 成長し、未だ嘗く民難を知らず、自以為しく下情に通ずるは学に在りて、 日夜帙を繙き、侍臣に問ふに、古今盛衰の理を以てす、固より菲才人主と 為るに足らざるを知ると禹も、豈拱手すべけんや、頃年凶荒し民飢う、春 来連霖して晴なく、恐らくは麦を傷らん、麦を傷らば民何を以て生活せん 故に、汝に命じて倉を発し、且富民に命じて之を助け、余も亦晨にに麦粥 を食す、封内の窮民を思ふて食咽を下らず、彼下民も本と同体なり、不幸 此に至る甚だ憫むべきなり、聞く東国大に飢ゆ、人相食むに至ると豈予備 せざるべけんや、礼に曰はく、邦に三年の蓄へなきは国其国に非ずと、苟 も之が備をなさんと欲するは蓄積にあり、蓄積は義倉に如くはなし、義倉 は先君既に之を行ふ、余も亦之を補益せんと欲す、然りと禹も今日の急務 は有司が相励み、下情を上達し、民をして飢渇を免れしむるに在るのみ、 汝之を勉めよ(文恭公実録)


藤堂高献
1813-1895






繙(ひもと)き










(あした)
 


『飢饉資料』(抄)目次/その20/その22

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ