Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.3.23

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「大塩の乱関係論文集」目次


『飢饉資料』(抄) その20

司法省刑事局編・刊 1932

◇禁転載◇

第三章 飢饉の公的対策
 第二 近世三大飢饉の対策
  (三)天保の対策
    一 饑饉を救ひ給ふ事(2)

管理人註
  

此稗倉領分三里四里を隔てゝ所々に夥多あり、是迄幾度か飢饉の患ありし に、貧しき民、食を得て死を免るゝは義公の御恵ぞかし を開きて是を賑 はし、或は富める者の貧しき民を救ひたらん者には其多少に従て恩賞を行 ふべきよしを諭し、或は邪なる民、大利を貪んとて窃かに穀を隠し蓄るを ば是を罪し、其穀を出し、或は貴く糶し賤く糴する類ひ、或は入穀を許し 出穀を禁ずる類ひ 我藩には入穀の禁ありて、其法尤厳也、是は穀の価賤 しければ士民の難儀となる故、平年とは一粒たりとも他邦の穀を境内に入 るゝことを禁じ、境内より出すことは禁ぜず、さて領中穀価の貴きを患ふ る時は他邦へ出すことを禁じ、また凶年に至ては平年に引かへ入穀を許し 出穀を禁ず、其開閉によりて自ら古の謂はゆる常平の意に叶へり。是かし こくも始祖威公の定め給ふ所にして不易の良法とすべし。すべて古の人は 大体を知て制度を定むる事、後人の及ばざること多し、政をなす人仰ぎ慕 ふべき所なり。に至るまで残る処なく施し給はるにぞ、申年の年酉の年、 世の中飢て死する者多き中に我が水戸の領内のみ一人の餓なきは難き事 ならずや。此時君彼是と御心をも御身をも苦しめ給ふこと大方ならず戌の 年の六月五日の家中に示し給へる御染筆の写、かしこくも左に記るす   巳年申年両度之凶年にて米穀も乏敷、然る処此気候にては此上何共難  計万々一今年も凶作にては国中士民の扶助如何にせんと日夜思を苦め候、  天地の変災は人の力に及び兼候得共、人に万物の霊と有之候得ば上下一  致して人事を尽し候はゞ、其志天地に通し変災も甚敷に至らずして止ぬ  べし、仮令変災止まずとも人力を尽したる上にて、上下諸共に飢に及ぶ  は天命也、君主は民の父母と有之候、仮初にも国中数十万の父母と仰が  れぬる身にて、いかでの飢にせまるを見るに忍んや、是によりて今日よ  り七日の間潔斎して、鹿島静吉田等へ五穀成就万民安堵の大願を立候得  共、日々平常の食を用候ては恐懼の事故、我等竝簾中初一同、今日粥を  食し上は天怒を慎み、下は民の患を救ひ度心得にて、此上何程凶年にて  も国中の米穀にて我等の食物には差支無之、又粥を用候とて其余りたる  米穀にて国中の潤にもならず候得共、重役よりはじめ国中の人、我等の  心を推察致し呉候て、人々心次第に米穀を余し候はゞ、国中に飢饉の民  はあるまじき道理なり、譬へば爰に兄弟十人あり、一人は富貴にて珍味  美食を用ひ、二人は相応の勝手にて十分飲食し、二人は平常の食を用ふ  るに、其余の五人は飢て死んとする時、はじめての五人は各の食を分ち、  平常より少しき麁食を用ひなば、十人の命は全かるべし、我等愚なる身  にても国中士民の父母なれば、国中の士民互に兄弟同様に思ひ、貧き者  はいよ/\倹約して富める者の救ひを受けざる様に心掛、富める者は我  独り富まず、一粒づゝにても余して世の中の人の潤になるやう心懸候は  ゞ、国中に餓民は有之間敷候、貴賤上下によらず、心あらんものは夫々  其所の鎮守氏守に実意を以て五穀成就の祈誓を籠め、一粒づゝも食を余  して、一人づゝも人を助んと志し候様致し度事に候    六月三日            御花押  斯く告げ諭し給ひければ、家中の諸士農民に至るまで思ひ/\に麁食用 ひ、余りある者は足らざる者を助けなどして饑饉の患を免れぬるぞあり難 き。我が封内の民仮初にても君の深き御恵を忘れず、耕し作る業な怠りそ。


夥多
(かた)
びただしいさま







糶
(うりよね)

糴
(いりよね)







常平
常平倉
(じょうへいそう)
か

威公
徳川 頼房、
水戸藩の初代
藩主

不易
変わらない
こと

















































麁食
(そじき、
そしょく)
粗食
 


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