(三)
詞『明れば二月十九日でございまして、此の日は毎年洗心洞に祀てあり
おまつり
ます、孔子の祭日でございますから、早朝から集つて来る門弟が数百
人、平八郎は此の時、殊更に威儀厳然として、沈痛なる句調を以て、
昨夜の出来事を述べまして、直ちに事を挙げんと宣言しした、スルト
だまつてきいて で
初めから沈思黙考ゐた一人の門弟、ツカ/\と平八郎の前へ進まして、
つねから おちつき ぼうこ へうか
門『先生、此度の御企は平生の御沈着にも似合ず、暴虎馮河の御軽挙か
と存じまする、青二才の拙者どもが申し上るまでもないこと、大義の
いづ
道は孰れにござりまするか、名分の弁解は。
節『なんとなされまする御所存か、常に聖賢の道を説き、仁義の教へ浅
からぬ御身を以て此の度の「御企は、何事でござる」山より高く海よ
りも、深き御恩を受けながら。
誰れ一人として御諫言申上るものもござらぬか、恐れながら聖賢の道
にも欠けたる今度の一件、先生のために採らざる所。
ま
節『時に取つては馬骨も千金の値あり、況して千金万金に、代られ難き
御身ではござらぬか。
おんあやまち
一朝の御過誤は万世までも、御高徳を汚す次第かと存じますれば、篤
と御熟慮下され、無謀の御軽挙は御中止相成るやう、お諫め申します
る。
よ かま
詞『平八郎は木像の如うになつて聞いて居る、それにも関はず、再三再
四死を以て諫むる人は、これぞ宇津木矩之允と云ふ厳正剛直を以て聞
ゆる大塩門下の俊才、けれど平八郎の決心を翻すことが出来なかつた。
も
宇『先生、最う此の上は御諫言申し上げませぬ、只今迄の過言は御許し
下されよ……。
節『ひきて返らぬ梓弓、矢竹心の一すぢに、思ひつめたる熱涙の、思は
よ
ず落す一雫、いくその思かこもるらむ、大塩聞いて、アゝ好う云ふて
くれたそちの諫言あだには受けぬ、我れも夫れ知らぬではないが、已
はゞかり
に止れぬ大和魂「矩之允は立つて便所へ往く」その跡見送る平八郎。
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