Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.8.17訂正
2002.2.3

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大塩の乱関係史料集目次


「史料紹介・大坂城玉造口定番組与力久松家文書」

その32

村上義光・島野三千穂

『大阪城天守閣紀要 第17号』1989.3 より転載

◇禁転載◇

適宜改行しています。


32 おば書状

其後御ふさた(無沙汰)申て御両人さまいよ\/御そく才御しのき可被成めて度そんし候、はる御文御返事いたし候間、久松源太たのミ申候所納所便御さ候間、さつそく遣し可申申候間たのみ申候、
そのかへりニハセつく(節句)ニハ源太その御地参られ候様くれ\/うけ□(給カ)申候、
し かる所右源太かた出産にてあとなやミ申候よし、在所うけ口(給カ)申候、
それ故何のさた無御座候、
手前家来付可申よしやくそくいたし置申、産後いく度か尋遣申候得共出坂様子見え不申、先便源太之参候よし申上置御まち可被成と存、此度わさ\/手前小者さし上候、
やしき(屋敷)便も書状出し候へく候存候へ共、中\/方かくあしく御座候間得遣申不候よし、下々さたいたし候間、此後用事此てつち出可申と存候、
東西不存不案内者御座候共、右御ことわりなから此てつち五年遣ひ申候へ共、その辺不及今日はしめ御座候間、さためてうさん成事斗申上候様さつ(察)し入候、
余り\/御無心なから一日とうぞ\/御とめ被下申、くわだ(角座カ)しばい成共御見セ被下候へく候、
きついあホたら御座候間、御たつきおこしそこ\/御見セ遣され被下かし、
(カ)亀蔵よりきつかいなきあホふ御座候、
廿六日御返し被下忝、何とそ\/となたさまなり共御供被仰被下御つれ被下かし、
御近辺御見セ被下度候、
此者道筋覚候ハゝ、秋比御めしつれ参り候事可御座候や、留主中さて\/はなれたる者私壱人にて心ホそく御座候、
六郎右衛門むなしくなられ、又五郎さま御座なされ候まゝいつ迄も便(頼リ)ニ存候所、それさへなき世と御成被成候へ、誠うつかり一日\/□□□□成申候、
准太斗ちすし(血筋カ)ニ御座候間、毎々かへり候成共御尋之はつなから、右申候通万事壱人用事かゝり申候ヘ、日々江戸下し用事多、大キ物入かない(家内カ)先年かハリ、子もちおやこ預り申 候故かさわ\/取こみ候事候、
三月ニハ初ひゐな立遣し候、
これ御しらセ申度候へ共、又々御セわかけ申候存さしひかへ候へく候、
先年何よりも□□(しな)\/多(カ)被下候、
うつくしき御まもり下候間、今\/用悦まいらせ候、
おとう悦まいらせ候中入わた沢山被下候まゝ寒気を□(し) のき申候、
もはや七十成まいらせ候まゝ寒中こまり申不及、留主此小者壱人にておとう御うば無御座候、
ちゝもよく出申間お長よくふとり二才成候へ共、もはやかいらしくはい廻りわるさいたし目はなされぬ御事なから風引候御事なく、そた(育)てくろう(苦労)ハ入不申候得共、手そだ(育)て故いそかしく此てつち加蔵と申候、
きつい気にてつね\/たかれ申間、留主ニハ此いもとやとひ置申、さわ\/い(云カ)つくらし□□□□□□存候中、もはやセんたく物時分成申候間、女子やといあらわセ申か存候、
当七月ニハ(主カ)御のホリ御座候
間、供ニてのホリ可申まちくらし候へく候、
はやく渡し申候へ安心いたし、先年とはことの外心うとく身ふち中ニ(不自由ニカ)うごく事もいたしかたき様存候、
此間少々暖気故か一日斗所口人すかりまいり申候、
これニてハ大坂ホう心もとなく存候へ共、何やかや御はなしうけ口(給力)たく私申たく、准太殿見申度候まゝ、セめててつち成共上候ハゝ、御様子うけ□(給力)可申と存候へく候まゝ□(上カ)候へく候、さて\/生の□□候ヘ共何楽しミなくくらし候へく候、
壱人も近所ゆかりなく、しかしなから生れ候時壱人故又行さきひとりニて、道路すてらる口(るカ) あるましく存候へ共、右左もミな\/他人にてとこやら水くさきもの 御座候、
七十及申候のりこへす孔子も被仰候存候ヘ、たしなミくらし申候、

一、此比吉田隠居此書付もち参られ、手前ニもミな\/他人成申候ヘ□□□□□(しく世にカ)□□候のちニハホと\/成申と存候間、便あら 玉造り御渡し被下候へ被申候間、その御方御本書御座候はん存候へ共よき便故上候、
此大かく(大学)ハ六郎右衛門殿手之ならい(習カ)ニ御座候よし、いつ比手前参り御さ候や、
箱のそこ御座候間上られ候様被申、又下書共又五郎様その御地御こしのセつ願書御座候、
久松氏けいづ少々御座候、
御引合御らん可被下候、
源太いつそ出坂いた□□候御事御座候や、まつ\/万事不人□□□□□□□□□□□御座候、
内々御心入申置申候、
久松氏義を御はなし候候ハんと存玉造り 参り候なと、四五年申居られ候へ共、いかゝ御座候や、
第一ふくの神にくまれ居られ候間、そのさいかく斗心かけ申候仁御座候と存候、
此書付よそ事ニハ無御座候間、長日ゆる\/と御らん被成被下か し、秋成り候ハゝうそなしする(カ)\/ひらいかこ(拾い駕篭カ)ニて成候共出坂可申かと存候、
それを楽しミ今日くらしまいらせ候、
申たき事山々なから今日おとうお長つれ、里女子生れ申候間、夕部田中かた御とぎ参り候、□□申上候様申候へく候、
たのミ□□気分よく上の気入役□□首尾よくつとめ申候間、よめねん比かいホふいたそふ見へ悦、孫りゝしく成人いたし此上楽しミ御座候、
万々筆廻り不申、御らんくるしく御そこ\/御さつし被下かし、
その御かたたんな殿清書□□□(送申てカ)よし田□□□□□の□□□□□□あら\/めて度かしく、

  三月廿四日        おば
 久松
  松慶院
さま
      人々申給へ



島野三千穂・村上義光「玉造口組付与力久松氏と大塩事件


「大坂城王造組定番与力久松家文書」目次その31 その33

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