村上義光・島野三千穂
『大阪城天守閣紀要 第17号』1989.3 より転載
◇禁転載◇
適宜改行しています。
尚々今日ハ天王寺村鳳林寺へ用事御座候間、小者遣し申□□(たくカ)源太殿候納所へも□□□申はつニ御座候、
左様ニ思召被下かし、
鳳林寺ハ□□(貫主カ)長老かんすいたされ候間、これへ少々用事御座候て遣し候故、生さかなハにホひ申候間、かまホこ(蒲鉾)二枚うきつと申さかなや、きしわた(岸和田)のかまホこの元ニ御座候間、これニやかせ進申候、
何分此丈の者不案内故進上物事故□□さしひかへ申候、
万々御さつし可被下候、
其後ハ御ふさた(無沙汰)申て御両人さまいよ\/御そく才ニ御しのき可被成めて度そんし候て、はるの御文御返事いたし候間、久松源太へたのミ申候所納所便御さ候間、さつそくニ遣し可申申候間たのみ申候、
そのかへりニハセつく(節句)前ニハ源太その御地へ参られ候様ニくれ\/うけ□(給カ)申候、
し
かる所右源太内かた出産にてあとなやミ申候よし、在所うけ口(給カ)申候、
それ故何のさた無御座候、
手前の家来ニ付可申よしやくそくいたし置申、産後いく度か尋ニ遣申候得共出坂の様子見え不申、先便ニ源太之参候よし申上置御まち可被成と存、此度わさ\/手前の小者をさし上候、
やしき(屋敷)便ニも書状出し候へく候と存候へ共、中\/方かくあしく御座候間得遣申不候よし、下々さたいたし候間、此後用事ハ此てつちを出可申と存候、
東西不存不案内者ニ御座候共、右御ことわりなから此てつちハ五年遣ひ申候へ共、その辺ハ申ニ不及今日かはしめニ御座候間、さためてうさん成事斗申上候様ニさつ(察)し入候、
余り\/御無心なから一日とうぞ\/御とめ被下申て、くわだ(角座カ)しばい成共御見セ被下候へく候、
きついあホたらニ御座候間、御たつきおこしそこ\/ヘ御見セニ遣され被下かし、
前(カ)の亀蔵よりきつかいなきあホふニ御座候、
廿六日ニ御返し被下忝、何とそ\/となたさまなり共御供ニ被仰被下御つれ被下かし、
御近辺御見セ被下度候、
此者道筋覚候ハゝ、秋の比御めしつれ参り候事も可御座候や、留主の中さて\/はなれたる者ハ私壱人にて心ホそく御座候、
六郎右衛門むなしくなられ、又五郎さま御座なされ候まゝいつ迄も便(頼リ)ニ存候所ニ、それさへなき世と御成被成候へハ、誠ニうつかりと一日\/□□□□成申候、
准太斗ちすし(血筋カ)ニ御座候間、毎々かへり候て成共御尋之はつなから、右申候通万事壱人ニ用事かゝり申候ヘハ、日々江戸下しの用事多、大キニ物入かない(家内カ)も先年とかハリ、子もちおやこ預り申
候故かさわ\/と取こみ候事候、
三月ニハ初ひゐな立遣し候、
これハ御しらセ申度候へ共、又々御セわかけ申候と存さしひかへ候へく候、
先年ハ何よりも□□(しな)\/多(カ)被下候、
うつくしき御まもり下候間、今ニ\/用悦まいらせ候、
おとう悦まいらせ候中入わた沢山ニ被下候まゝ寒気を□(し)
のき申候、
私ももはや七十ニ成まいらせ候まゝ寒中のこまり申は申ニ不及、留主ハ此小者壱人にておとう御うばも無御座候、
ちゝもよく出申間お長よくふとり二才ニ成候へ共、もはやかいらしくはい廻りわるさいたし目のはなされぬ御事なから風も引候御事なく、そた(育)てくろう(苦労)ハ入不申候得共、手そだ(育)て故いそかしく此てつちハ加蔵と申候、
きつい気ニ入にてつね\/たかれ申間、留主ニハ此いもとやとひ置申、さわ\/い(云カ)つくらし□□□□□□と存候中ニ、もはやセんたく物時分ニ成申候間、女子やといあらわセ申かと存候、
当七月ニハ□(主カ)人も御のホリニ御座候
間、供ニてのホリ可申とまちくらし候へく候、
はやく渡し申候へハ安心いたし、先年とはことの外心もうとく身もふち中ニ(不自由ニカ)うごく事もいたしかたき様ニ存候、
此間少々暖気故か一日斗の所口人ニすかりまいり申候、
これニてハ大坂のホうも心もとなく存候へ共、何やかや御はなしうけ口(給力)たく私も申たく、准太殿見申度候まゝ、セめててつち成共上候ハゝ、御様子うけ□(給力)可申ニと存候へく候まゝ□(上カ)候へく候、さて\/生の□□候ヘ共何の楽しミもなくくらし候へく候、
壱人も近所ニゆかりなく、しかしなから生れ候時も壱人故又行さきもひとりニて、道路ニすてらる口(るカ)事も
あるましく存候へ共、右も左もミな\/他人にてとこやら水くさきもの
ニ御座候、
七十ニ及申候てのりをこへすと孔子も被仰候と存候ヘハ、たしなミくらし申候、
一、此比吉田隠居此書付をもち参られ、手前ニもミな\/他人ニ成申候ヘハ□□□□□(しく世にカ)□□候てのちニハホと\/ニ成申かと存候間、便あらハ
玉造りへ御渡し被下候へと被申候間、その御方ニ御本書ハ御座候はんと存候へ共よき便故上候、
此大かく(大学)ハ六郎右衛門殿手之ならい(習カ)ニ御座候よし、いつ比手前ニ参り御さ候や、
箱のそこニ御座候間上られ候様ニ被申、又下書共又五郎様その御地へ御こしのセつ願書ニ御座候、
久松氏けいづ少々御座候、
御引合御らん可被下候、
源太もいつそハ出坂いた□□候御事も御座候や、まつ\/万事不人□□□□□□□□□□□御座候、
内々御心入ニ申置申候、
久松氏の義を御はなし候て候ハんと存玉造りへ
参り候なと、四五年も申居られ候へ共、いかゝ御座候や、
第一ふくの神ニにくまれ居られ候間、そのさいかく斗心かけ申候仁ニ御座候と存候、
此書付もよそ事ニハ無御座候間、長日ニゆる\/と御らん被成被下か
し、秋ニ成り候ハゝうそなしニする(カ)\/ひらいかこ(拾い駕篭カ)ニて成候共出坂可申かと存候、
それを楽しミニ今日をくらしまいらせ候、
申たき事山々なから今日もおとうハお長つれ、里に女子生れ申候間、夕部田中かたへ御とぎニ参り候、□□申上候様ニ申候へく候、
私のたのミハ□□気分よく上の気ニ入役□□首尾よくつとめ申候間、よめもねん比ニかいホふいたそふと見へ悦、孫もりゝしく成人いたし此上の楽しミ御座候、
万々筆廻り不申、御らんくるしく御そこ\/御さつし被下かし、
その御かたたんな殿へ清書□□□(送申てカ)よし田□□□□□の□□□□□□あら\/めて度かしく、
三月廿四日 おば
久松
松慶院さま
人々申給へ