島本仲道編 今橋巌 1887刊 より
愛而近之
則温其体
馴而弄之
則焼其手
民猶火也
勿言可侮
とは、大塩平八郎が自ら火爐の屏風に題する所の語にして、固と短句隻章に過ぎずと雖ども、既に其人の愛民の情に切なるよりして、幕吏の民を虐げ俗を蠧するの甚しきを憂るの寓意ある事を知るに足り、
延て以て天保丁酉の挙は、決して所以なきの暴挙にあらず、窮民を救んと欲するの至情、内に熱して黙止す可らざる者あり、
是以て止む事を得ず、一身を犠牲に供しても、為す事あらんとするの義心に発したる者なるや、知るべきなり、
要するに、此語の如きは、摘得て平八郎が一世の心事を証する者と謂んも、不可なかるべし、
豈に斯人にあらすして、斯語あり、と言ふべけんや、顧(おも)ふに、当時幕府の末造、統制宜しきを失ひ、政令大に紊れ、賄賂公行し、苟も己に利あらざれば、鹿を馬と称しても之を圧し、強て其威福を張んとするは、吏胥の習にて、殊に職を町与力吟味役等に奉ずるの徒は、市人の生命財産も、其欲する所に任せて、予奪を自在にする事も得難からざる要地にあるが為め、多くは人の恐るゝ所となりて、常に貨賂に耽り、貪汚性を為して、一毫も民を愛するの心あらざる風ありし、
中に立て、平八郎が斯語を作て、之を炉辺に置たる者は、乃ち其人々として不群
の節ある事を見るに足て、感服に堪えざる者あるなり、
且つ平八郎は、単(ヒト)り民を愛するに切にして、此一方にのみ偏して、其他を思はざりし人なりやを如何と言はゞ、決め然る者にあらず、
吾曹は又、殊に忠義慷慨の志に厚きの人なる事を知るなり、其甞て明史の月娥伝を読で寇至り、城陥るに及び、月娥が吾れ詩礼の家に生る、安ぞ節を俗に失ふべけんやと言て、幼女を懐き水に赴て死するの所に至り、慨然、巻を掩て泣涕し、剣佩冠裳、降を売て耻る事を知らざるの輩、何ぞ娥眉斯人に対し、面目の世に立つ者あらんやと為し、以て一詩を題せり、曰く
汚身不独河間婦
天下男児亦多然。
月娥何者耻詩礼。
水上流屍顔尚研
乃ち国破れ、家亡ぶるの日に当て、難に殉する事を知らず、降を売て生を偸むは、鬚髯の男子すら多く然る中に、月娥独り、金釵玉笄の繊弱女子を以て、尚ほ学ぶ所を辱めず、慷慨水に赴くの節操を追感したる者なるの一を以ても、之を見るに足るべく、
况や其暴挙に先だつて、摂河泉播の間に檄する所の文を見るに、平生常に 皇綱の紐を解て幕吏の敬を 王室に失ふ事を憤り、竊に 王政の古に復せんとするの意を懐抱したる事を推察するに足る者あり、
現に吉見九郎右衛門が告訴状は、務て平八郎を汚辱せんと企たる文なれ共、尚ほ其中にも 王道に帰せん事を唱導したりと称する事あ
る等の事を考れば、言はずして其人の忠義慷慨の志、素養する所深き者ある事を知るべきなり、