Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.11.25

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大塩の乱関係論文集目次


『青 天 霹 靂 史』

その49

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

因て其初て事るや、首として長官坂部能登守に稟して、曰く、

方今士風漸く頽れて、武事の忽にすべからざる事を知らず、人々皆剣槍弓銃の事を措て顧るなきに至れり、是れ大に慨くへし、一旦変故あるに会はゞ之を何とかすべき思はざる可らず、是以て小人願くは之を振起するの方を講ぜんと欲するなり、然れ共武事の攻(ヲサ)めざるや尚し、今俄に之を学ぶを教へて、急に成功を期するとも、其能はざるや必然の数なるを以て、願くは貸すに時日を以てして、今より三年を期して各其業を修めしめ、然後に貴下自ら考試を開て優劣を判ずる事を令せられぱ、士風、於是乎振ん、

と、能登守固と武技に長じて頗る気慨あるの人なるを以て、大に之を可として、に諸士に令するに其言の如くせしかば、之より士衆各々、剣槍弓銃、其好む所を学て、怠たらざるに至り、越(コゝ)に四年を以て能登守之を親試するに及へば、皆昔日の観を更て、武技大に長ぜしに依り、褒を与へて之を賞せり、

実に当時大坂の士衆、多く武技に練達したる者は、皆平八郎が率先の賜なり、


『青天霹靂史』目次/その48/その50

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