島本仲道編 今橋巌 1887刊 より
平八郎、人となり、気魄大盛にして、骨采蒼堅新梳の後と雖とも髣髴刀騒す、膏を用ひざる者のごとくにして音吐鐘に類す、
人と語れば、慨蓬勃として
鳴叱咤し、聞く者をして興起奮
するの意あらしむ、
故に幼より気慨あり、儕輩と同しからず、
甞つて街上を行くに、商家の二丁稚あり、道に担を擲て拳撃格闘するを見て、走て二童の髻を握り、曰く、
汝等、主用を忽にして、私争に勇む、何ぞ其理を知らざるの甚しきや、敢て止まずんば、吾れ当に為す所あるべし、
と、瞋目叱責す、二童恐れ謝して去る、
又、見習生を以て奉行所に給仕するや、例を以て裁決の落着する者をを掌る一日、奉行所中、裁決の公書に調印するに当り、逡巡慌惑の状ある人あり、詰て之を問へば、曰く、
今朝出廷の時、印を首に繋けて出たりと思ひしが、今、之なし、
と、平八郎曰く、
汝、之を首に繋るを知て心に繋るを知らず、此れ過ある所以なり、
と、説諭したり、
其雄峻機警ある事、斯の如し、
既に長ずるに及べば、則ち文は漢籍を究て、傍ら軍学に通じ、武は砲術を学で、中島流入室の弟子となり、槍術は徒手にして敵に対すれ共、能く之に抗する者なりきの精練を得て、関西第一の称あるに至れり、