島本仲道編 今橋巌 1887刊 より
嗚呼平八郎は一世の人傑なり、
然るに永く利器を其所に試るを得ざるを以て、退て書を著し、徒に授て其身を終らんとして、又、他の其名を忌む者あるに会て、意の如くする事を得ず、乃ち才あつて用るに処なく、名あつて全きを求め難し、感軻不遇の情も亦哀しむ可らずや、
思ふに平八郎は其人に於ては、憤懣胸に満て、耿々寝る能はざる鬱悒あらんとす、是以て霹靂の天に発して、轟然怒を洩す如く、身を殺して辞せず、奸吏驕商を戦慄せしむるの暴挙を為すに至りたるなり、
然れ共、暴虎憑河死して悔るなきの行を以て、其心を撫うせんとしたる者にはあらず、亦取捨得失の機に於て、自ら得る所ありて此に至りたる者なるや、知るべし、必らず後来隠然として、天下に益する所の者ありしなるべし、
豈に其表に発する者なきを以て之なしとす可けんや、恐くは英霊の今に於て存するも知るべからざるなり、
然而して、吾曹は初め平八郎
の心事を証するに、其語を以てして此篇の筆を起したるに
より、今将に篇を終らんとするに臨でも、亦平八郎が語を以て暴挙に及ぶの事を評して筆を擱くの至当なるを知る、乃ち平八郎が弟子に示すの語に於て其意を見る者あり、
曰く、
当テハ忠孝之変ニ、殺シテ身ヲ成ス仁ヲ、是レ其所止ル也、