Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.7.6訂正 1999.10.20

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大塩の乱関係論文集目次


「大塩平八郎の久世広正等に対する告発
  −干鰯仲間株を中心として−」

その2

島野 三千穂

『大塩研究 第34号』1994.3 より転載

◇禁転載◇

*表については一部変更を加えています。(管理人)

    

第四章 捨訴箱訴事件

 伊東は以上述べた事件に関与したためか西町奉行所家来を罷免された。おそらく金子他の同僚が讒言したに相違ないと思った伊東は天保三年三月−六月頃、大坂城代と大坂定番あて干鰯仲間の偽名で捨訴した。そしてその後、出府して評定所前箱にも天保三年六月−八月廿一日頃無名で箱訴*16した*17。将軍家斉に対する直訴であった。しかも大胆な事には、捨訴・箱訴の結末を知りたく思って、城中目付山本七郎左衛門が丁度、上坂するので、その道中日雇(後、中小姓席)になって、大坂にやってきたが、捨訴・箱訴が露顕して、江戸へ護送、江戸で判決告知後、再び大坂三郷を駕籠で引き回され、天保四年三月十三日鳶田で磔*15 と成った。*17 大塩が恨みを含んで捨訴したと密書に書いたのは正に、此の人物であった。(A・B表参照)

A 久世広正家来等惹起事件相関図
(略)

─────────────────────

【注記】

*15 前掲『浪速奇観』五六三頁

*16 『旧事諮問録(上)』岩波文庫 一一三〜四頁に次の様な説明がある。

*17 石井良助編 御仕置例類集『天保類集』名著出版 昭和四八年八月


  *四六五 天保四巳年御渡

   大坂町奉行伺
   一 山本七郎左衛門元家来伊東清十郎、不軽申懸いたし候一件

               南新町壱丁目
                  忠兵衛支配借屋
                     次郎左衛門

  右之もの儀、新規ニ当表干鰯株取立、此もの株主ニ相成、
  加入之ものより差出候株式銀を以、凌方助成ニ可致と、
  仕法目論見、卯右衛門を申勧、為致同意、右仕法之内、
  江戸吹上御庭并御薬園御用之干鰯売上度段願之儀、卯右
  衛門申合、当表奉行所添翰願受、御勘定奉行え及出訴候
  旅用金調達之儀、監物え相頼、追て成就之上は、徳用銀
  可致配分申合を以、取替受候節ニ至り、右願ハ不容易筋
  ニ付、内証取扱方、水野美濃守家来山口久四郎え頼込之
  儀、監物ニ致同意、同人より久四郎え之頼状貰受、始終
  之取計ハ、卯右衛門え相包、同人同道出府之上、村垣淡
  路守方え願出、取調中、久四郎え申込候処、難及頓着段、
  厳重之申論乍受、右願於江戸表取用無之候ニ付、当表え
  致再願候心組之由、久世伊勢守家来え噂之儀、押返久四
  郎え相頼、其節も同様申諭受候ハゝ旁不筋之致取計間
  敷処、無其儀、帰坂之後、監物申談、猶又仕法を目論見、
  卯右衛門申合、伊勢守御役所え度々願出、其節々利解受、
  願下ニ相成候儀を、残念ニ存候迚、仁三郎・監物等を以、
  伊勢守元家来伊東清十郎え、内証取扱方相頼候段、縦令
  同人ニ会釈之金銀相贈候儀無之とも、右始末、不埒ニ付、
  過料五貫文、……(中略)……類例ニ見合、品不宜候間、
  所払、評議之通済、

 *一二六三 天保四巳年御渡

  大坂町奉行伺

  一 山本七郎左衛門元家来伊東清十郎、不軽申掛いたし候一件

              山本七郎左衛門元家来
                     伊東清十郎

  右之もの儀、先達て久世伊勢守奉公中、暇出候儀は必定、
  同人家来金子敬之進・平田啓助・名村左司馬・古川源七
  郎等申合、致讒言候故之偽と心外ニ存、右之もの共え不
  審相掛、可為致難渋と手段存付、品々無跡形儀、并窃ニ
  聞取候御役所取計向ニ品を附候、無名前偽之書付、此も
  の自筆ニ認、外名前を以中包上書等いたし、伊勢守方え
  申掛候ケ条之外、此もの当表奉公相勤候内、仁三郎方え
  内々罷越、次郎左衛門・卯右衛門等目論見之当表干鰯売
  買取締願之儀、奉行所おゐて、程能聞済有之様内証取扱
  方、監物又は仁三郎より頼受、金銀等未貰受候儀無之と
  も、猥ニ承知之趣乍受込置押隠、敬之進えも、江戸表武
  家方手筋より同様頼込貰有之由、監物噂迄之儀を、容易
  ニ信用いたし、不筋之金子受用有之、又ハ伊勢守儀、闕
  所物致持用候抔、都て無跡形偽之儀を、当表惣町人干鰯
  仲買共等より申立候姿ニケ条を殖、其段認足、是又外文
  通躰ニ偽候名前を以致上書、当表御城代御定番等えも、
  夫々手を廻差出、或は評走所えも致御箱訴候次第、全伊
  勢守えも為致迷惑可申巧ニ相聞、剰右成行承、繕旁山本
  七郎左衛門、当表御目付交代罷登候を幸ひニ、伊勢守方
  ニ以前致奉公候身分相包被抱、致出坂候段、重々不届至
  極ニ御座候得共、吟味之上、取拵候乍書付、伊勢守方え
  も申越、同人存寄為迷、畢竟は敬之進外三人之元傍輩共
  を、可為致難渋手段之発意相分候上は、全利欲を企、謀
  書を以取巧候筋とは、趣意違候儀ニ付、死罪、

   此儀、吟味書之趣ニては、久世伊勢守方奉公中、願筋
   取扱方頼受候不埒も有之候得共、其後同人存寄ニ不叶、
   暇出候節、全元傍輩共より伊勢守え及讒言候故之儀と、
   疑惑いたし候より、難儀可相掛と、右之もの共品々悪
   事有之由、又は伊勢守儀も、町人共より多分之賄賂金
   等申受、或闕所物之内、時計并腰物小道具其外、品
   々横取いたし候抔、都て無跡形儀を取拵、重御役人等
   之名前を顕し、文通相認、上書等は外名前ニいたし、
   手段を以夫々え相届、剰同様之儀認、無名之御箱訴を
   もいたし置、其後之成行可承と、山本七郎左衛門家来
   ニ相成、上坂いたし候由ニ有之、尤伊勢守え難儀可相
   掛と之趣意ニて、認候儀ニは無之由、申口も有之候得
   共、既同人不正有之由、品々不容易儀認有之候上は、
   素右申口は難立儀ニて、依之先例相糺候処、差当相当
   之例相見不申、御定書ニ主人・親重キ悪事有之由、偽
   を申掛、訴人ニ出候もの磔、と有之ニ見合、今般之清
   十郎は、古主え対し候て之不届ニ候得共、前書之通、
   悉陰悪之所業、巧之次第ニ至候ては、一躰之事実、顕
   ニ訴人いたし候よりも格別品重く候間、前書御定同様、
   磔、                       
    但、科書之内、不届至極と有之候より以下之文段相
    除可申渡、評議(朱書)之通済、
─────────────────────
  

第五章 戸塚の捨訴・箱訴事件に対する乍略の吟味

 伊東の大坂城代・大坂定番にたいする偽名の捨訴と評定所前箱への無名の箱訴は当時としては違法な訴願のためか、管見によれば、事件の詳細な記録は残存しないようである。しかし、幸運な事には天保類集一二六三*17に僅であるが捨訴、箱訴自体の事件とその投訴内容が記録されている。その記録は、(1)(遠国奉行であった)大坂町奉行の御仕置伺、(2)(1)に関する老中の諮問と評定所一座の評議、より成っている。そこで、(その他天保類集もあわせて)『風聞書』を(中心にすえて)比較検討したのがB表である。文章表現は違っても、密書とも、他の関連資料『(肥物商組合一班』『浪速奇観』ともよく照応するので、信じてもよいとも思われる。

           
B.内密風聞書 照応史料一覧
        
×捨訴・箱訴された人物 ■捨訴・箱訴人
○該当事件所出人物(処罰なし)●該当事件所出人物(処罰あり)
△大塩の言う乍略の吟味を受けた人物▲大塩のいう乍略でなかった吟味をうけた人物
                          






知)
挙兵以後史料番号
身分等 人名等





















天保
類集
建議書備 考
側用取次 水野忠篤 465 48頁
同上家来 山口久四郎 465
1336
勘定奉行 村垣定行 465
管理
責任?
大坂西町奉行 久世広正
×
80
193
930
1263
1336
48頁

170-
171頁
173頁

K/T
W?
同上家来 金子敬之進
×
1263


48頁
173頁
175-
176頁
50頁
敬右衛門


K/O
W/Z
同上家来 平田啓助
×
80
1263
1268
1379
1533
177頁



江戸払
M/O 同上家来名村左司馬
×
80
193
1263
1268
177頁


吟味中病死
M/T 同上家来 古川源七郎
×
1263
177頁


同上家来 佐山八郎

1263178頁
H/I同上家来 伊東清十郎

180
465
930
1263
1336
48頁
176頁

三郷引
廻ノ上礫
清十郎妻 177頁
I城中目付山 本
七郎左衛門

180
1263
不念
阿蘭陀通詞名村新八 177頁追放 進八か
勧修寺家来香川監物
465
930
1263
1336
176貢 重追放
尾州浪人辻村仁三郎
33
465
930
1030
1263
1336
176頁




大坂三郷払
貸座敷所持人 佐兵衛
1124
1268
急度叱
家 主 勇二郎
33
1030
過料三貫文?
鱗形屋
治郎左衛門

465
930
1263
1336
175頁
176頁

所払
樫 屋
卯衛門
465
1263
1336
175頁
176頁
綿 屋
重右衛門
176頁
天満屋
市郎衛門
干鰯株反対
天満屋
七郎兵衛
干鰯株反対
松之尾 吉兵衛 175頁
毛谷栄作 175頁

事件・疑惑(内密風聞書で内偵・探索されている)
  
(F)不正唐物取扱 (H)干鰯仲間株取立願い
(I)違法訴願(捨訴・箱訴)(K)公事出入便宜
(M)身分故障 (O)阿蘭陀人薬用サフラン脇荷物事件
(T)時計・腰の物・小道具(欠所物横領)
(W)賄賂金受取 (Z)その他(密通など)

(注記)米価騰貴操作事件は未考につき上表より除外。

 このB表の整理から次の諸点を抽出する事ができる。

(1) 大坂城代・大坂定番あて捨訴も江戸評定所前箱あて箱訴も江戸と大坂では周知の事実であった(大坂町奉  行が仕置伺していることもその根拠となる)。(天保類集一二六三*17、密書。但し『密書』では箱訴は脱落)

(2) 干鰯事件を含む全ての被捨訴人・被箱訴人は、五名で、全員が西関係者であった。(×印)(B・C表参照)

(3) しかし、西関係者は全員処罰されなかった。加えて 別件事件の疑惑として欠所物横領。賄賂金受取。公  事出入便宜、米価操作。身分故障。その他があったが (大塩のいう所謂乍略の吟味をうけた)(△印)

(4) 久世は捨訴箱訴されたが、探索・内偵すらされなかった。

(5) 内山彦次郎をはじめとした西町奉行所内の与力・同心(大坂地付役人)は無関係のようである。

(6) 事件の発端となった訴人の伊東は厳科(礫刑)に処せられた。勿論、伊東のみ元西の家来であった。『風  聞書』で探索・内偵もされた。(■印)

(7) (大塩の言う)乍略の吟味を受けなかった人物が六人居た。そのうち干鰯事件に直接関与せず、尾州浪人を止宿させただけの町人二人が処罰された。伊東を雇った次の主人(城中目付)山本も処罰をうけた。(▲印)

(8) 『風聞書』で内偵された米価操作事件は天保類集では、一切記載なく、捨訴・箱訴された痕跡もない。  (乍略の吟味の可能性はあるが未考)

(9) 阿蘭陀人薬用サフラン脇荷物事件は、天保類集・長崎犯科帳に共通して記載あるが、『風聞書』では同一 人物が身分故障疑惑として登場するのみで、明確な記載がない。(後述)

(10) 関係史料の舞台は江戸(側御用取次・勘定奉行)大坂(大坂城代・大坂定番・大坂東西町奉行・西町奉行所家来・干鰯仲買等)京都(公家家来)長崎(長崎通詞・長崎奉行・阿蘭陀人)の多岐に渉っているが、偶然性によるものでなく必然性が有ったとおもわれる。

 総じて気付かれる点は、天保類集は記述が抽象的であるのに対して『風聞書」は実体の真実に則して書かれている。

 そのためか(大塩が密書で指弾するほどには)『風聞書』は断定的、説得的ではなく、内偵探索報告の文章の口調は、曖味模糊の表現に終始しているようである。(C表下段参照)

 しかし、それを認めても尚且つ、戸塚が有体に吟味していたら、久世の家老金子は不埒があったに相違ない。

 しかし戸塚は権家水野美濃守を恐れて乍略の吟味をした、という大塩の主張がある程度、当てはまる事を暗示する様である。*18  
  
C 大坂西町奉行所内被捨訴人,被箱訴人の被投訴内容照応分析

「天保類集 一二六三」と「内密風聞書」との照応 
     
天保類集 一二六三 内 密 風 聞 
被捨訴人・箱訴人被投訴内容疑惑・探索・内偵内容被探索人・被内偵人内偵・探素の成果
久世広正町人共より多分の賄賂金受取・欠所物の内、時計并腰物小道具其外品々横取 久世広正
※l
金子敬之進干鰯仲間株取立に関し不筋の金子受取・品々跡方無き儀 米価操作

時計并腰物道具類欠所内にて買上

米価操作

松の尾公事出入便宜。
干鰯仲間取立出願に関し大金受取

西様勝手向・西様家来向

金子敬之進

突き止め難・分兼

時計の儀は不相分、道具は西様勝手引候分有と相聞申侯

突き止め難・分兼

突き止め難い。
先、相聞申さず。(徳分に相成と相聞申候)

平田啓助品々跡方無き儀等 ふしの粉・博奕・公事出入便宜 平田啓助 先、相聞申さず。
名村左司馬品々跡方無き儀等長崎表身分故障。
不正唐物(名村新八)
名村左司馬如何の筋相聞申さず。
薄々相聞申候。
古川源七郎品々跡方無き儀等古道具類渡世・身分故障 古川源七郎如何の儀も相聞申さず。
密通佐山八郎先、相聞申さず。
干鰯仲間株取立に関し大金受取および執持 伊東清十郎
※2
先、相聞申さず。(徳分に相成と相聞申候)

※1久世広正は捨訴・箱訴されたが、探索・内偵すらされなかった。
※2伊東清十郎は捨訴・箱訴した当人であったが『内密風聞書』では探索・内偵されている。

─────────────────────

【注記】

*18 大塩平八郎の捜査方法(乍略でなかった吟味)については、中野操『大坂蘭学史話』(六二−一〇七頁 思文閣出版 昭和五四年三月)が当を得ていると考える。同著によれば、大塩の手掛けた切支丹事件(文政十)は芋ヅル式、一網打尽であったため、京阪の蘭学者達は結果として大きな痛手を蒙ったと論証されている。

─────────────────────
 

第六章 久世と金子の長崎奉行所転出と阿蘭陀人薬用サフラン脇荷物横領事件

 すでに述べた如く、様々の疑惑事件を残して、久世と金子等家来は無事天保四年六月二〇日に離坂して長崎奉行所に転出できた。

 さて久世の家来には大坂から随従した人物で、長崎出身の人物が二人いた。既述した平田啓助と名村左司馬である。平田啓助は天保三年当時、西で書翰方をしていた。名村左司馬は、天保二年に久世の中小姓席右筆役に召抱えられていた。長崎の通詞出身であった(名村八左衛門五男)。(名村は身分故障あるかと『風聞書』に記載されている)

 さて、この平田と名村が今度は長崎と江戸で事件を引き起こした。かいつまんで述べるとこうである。

 天保五年頃、名村左司馬の兄名村元次郎なる人物が阿蘭陀人テフメルから薬用サフランの脇荷物を購入し、長崎出島内、蔵元より荷物を受け取った。そして代金を一部払って(テフメルの出帆もせまったので)残額は翌天保六年三月、江戸払いすると約束しておりながら残額をとうとう払わなかった。是を阿蘭陀人から訴えられた。この支払いを江戸でする約束の謀書を出したのが平田啓助であった(名村左司馬と平田啓助はこの時江戸に居た)。この事件は簡単に結審するかにみえた。

 しかし、次の点で間題となった。

(1)平田と名村左司馬は久世の家来だが江戸で事件を起こしたから裁判管轄が跨がる、

(2)名村元治郎は長崎支配場限りだから長崎で裁判きるが、やはり(1)と関連あるから手限(てぎり)で裁判できない、

という点であったらしい(天保七年四月『天保類集八〇』参照)。しかし結局、此の三人はもう一人の長崎奉行牧野備前守*19が老中に吟味伺をして落着した*20

 平田啓助が江戸払い、名村左司馬が吟味中病死、兄の名村元次郎が長崎出島門前で獄門になった(A・B・C表参照)。(このときすでにシーポルト事件で連座した阿蘭陀通詞付筆者北村元助等四名も急度叱の刑を受けた) 天保八年九月廿三日の判決告知であった。従って、此の事件は(大塩挙兵時には)、老中の諮間をうけて、評定所一座で評議中であり、江戸と長崎では既知の事件であった。しかし『風聞書』には、此の事件は記載がない。

 大塩は長崎も視野に入れていた事は確実だが、この事件をどの程度知っていたか、大塩の挙兵がこの阿蘭陀人薬用サフラン脇荷物事件の判決に影響したかどうかは未考である。今後の検討にまちたい。

─────────────────────

【注記】

*19 牧野成文 長崎奉行(天保元年五月〜七年六月)

*20 森永種夫「犯科帳第八巻」 二五九〜二六一頁長崎図書館内犯科帳刊行会

─────────────────────
 

終わりに

 干鰯仲間株取立願いを発端として、久世の家来伊東は西を罷免された。恐らく同僚の金子等が讒言したに相違ないと思った伊東は大坂城代と大坂定番に干鰯仲間の偽名で捨訴し、その後、出府して、評定所前箱に今度は、無名で箱訴した。そして、伊東は御定書にある主人を訴人した罪で極刑の磔に処せられた。しかし久世とその家来は、様々の疑惑があったにも関わらず、処罰を免れ、長崎に無事転出した。この捨訴・箱訴事件は、文政十三年八月を発端として、天保四年二月十二日の判決告知におよぶ、大塩引退以後二年半の期間に当たる。戸塚が有体に吟味していたら、久世以下不埒があったという大塩の告発は、ある程度、当てはまる事を暗示するようである。ただ『密書』に添付された、『風聞書』が、当初、誰人の指示で、誰人によって書かれたのか。誰に提出されたのか、戸塚あてか大塩あてか。残念ながら、明確に判断出来ない。言えることは、捨訴。箱訴事件を契機として内偵・探索が開始され、天保三年三−八月頃に『風聞書』は作成され、大塩の筺底に挙兵まで保管されて来たらしい。それ以後、書き足した痕跡は無さそうである。戸塚の御仕置伺と、天保四年二月十二日の判決と『風聞書』は照応する点が多い。したがって、この密書と風聞書の箇所は江戸のかなりの幕閣が、一読すれば、即刻、理解できた内容であった。それだからこそ、まさに挙兵前日に、四年も前に大坂から転出した役人を、大塩は糾弾したのだ。尚、臆断を許されるとすれば、大塩は死を賭して、幕政改革を、大坂だけでなく、江戸・長崎を視野にいれて、均衡のとれた視点で主張した。しかし、何故か大塩が黙して、語らなかったこともあった。それは、君辺にかかわる事、江戸城吹上御庭等への干鰯納入願と評定所前箱への箱訴事件である。

 年表略図(文政13〜天保4年)
 
捨訴・箱訴大坂城代東町奉行 西町奉行 鱗形屋治郎左衛門辻村仁三郎伊東清十郎 勇二郎 山本七郎左衛門 平田啓助名村左司馬 備考


13






太田高井

10月

11月

新見









2月破戒僧事件
3月京都大地震

7月大塩平八郎隠居、連斎と号す。

8月18日東町奉行高井発駕




5月

松平

曾根

9月

10月

久世

久世
中小
姓席
に召
抱ら
れる
2月27日東町奉行曾根着任

3月安治川口川浚はじまる

10月10日西町奉行久世着坂




3月

捨訴

6月

箱訴

8月
21日

6月

戸塚

正月?
〜3月

西







2月
〜6月




宿

6月
西町
奉行
所 罷
免?

8月
21日
江戸
出立

9月
21日
大坂

2月

6月

仁三
郎に
宿
貸す

8月
21日
江戸出立

9月
大坂

6月
伊東
清十
郎妻
と出
府?
10月13日東町奉行戸塚着坂



6月

7月

矢部

2月
12日
判決

3月
13日

2月
12日
判決


   Copyright by 島野三千穂 Michiho Shimano reserved


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