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大塩平八郎が兵を挙げたるは、素より一時の忿怒に駆られたるものにして、
時に軽卒の譏を免んずと雖も、彼れが窮民を愍むの情、そく/\として切な
るものありて、事爰に至りたるを思へば、真に一掬同情の涙なき能はざるな
り。一点非難を挟むの余地を発見するに能はず。彼れは決して山城守の称す
るが如く、一時の名を好んで事を挙げたるものにあらざるは勿論なり。試み
に彼れが剳記を見よ、
人之嘉言善行。即吾心中之善。而人之醜言悪行。
亦吾心中之悪也。是故聖人不能外視之也。
とあり。即ち彼れは人の醜言、悪行を目するに忍びざりしなり。暴吏の暴
状を看過すべく、彼れは余りにも熱情漢たりしなり。兼ねて其の多年鎔鋳せ
られたる陽明学の精神は、決然として爰に発掲せられ、煌々たる明光を発す
るに至れるものなり。彼れが徳川幕府の専横苛酷の政治に憤激措く能はず、
加之、王朝の衰退其の極に達しては、彼れ寸刻と雖も座視するに堪えざるな
り。彼れの学を以て反逆と称するは、未だ以て彼れの心事を識認する能はざ
ればなり。彼れれの如く、高潔俊邁の士にして壮裂の気節を抱き、一身一門
を捨てゝ王道の復古を企つるの誠忠無類、古今に多く其比を見ざるなり。英
傑の芳魂今那辺にか彷徨せん。憶ふて爰に至れば、流涕の千行するを禁ずる
能はざるなり。方今道義地を払ひ、滔々たる世人殆んど岐路に迷ふ。此の時
に当り、若し先輩の行為、心術に鑑みる所あらば、豈時に志を立つるの覇柄
を得るものなしとせざらんや。
――(一九二五・一〇・一九)――
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譏
(そしり)
愍(あわれ)む
嘉言善行
立派なことば
と立派な行い。
『洗心洞箚記』(本文)
その83
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