Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.11.26

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎を憶ふ」その5
白石重

『日本農村論』啓文社 1926 所収

◇禁転載◇

五 〔大塩平八郎の評価〕          管理人註

 大塩平八郎が兵を挙げたるは、素より一時の忿怒に駆られたるものにして、 時に軽卒の譏を免んずと雖も、彼れが窮民を愍むの情、そく/\として切な るものありて、事爰に至りたるを思へば、真に一掬同情の涙なき能はざるな り。一点非難を挟むの余地を発見するに能はず。彼れは決して山城守の称す るが如く、一時の名を好んで事を挙げたるものにあらざるは勿論なり。試み に彼れが剳記を見よ、  人之嘉言善行。即吾心中之善。而人之醜言悪行。  亦吾心中之悪也。是故聖人不能外視之也。  とあり。即ち彼れは人の醜言、悪行を目するに忍びざりしなり。暴吏の暴 状を看過すべく、彼れは余りにも熱情漢たりしなり。兼ねて其の多年鎔鋳せ られたる陽明学の精神は、決然として爰に発掲せられ、煌々たる明光を発す るに至れるものなり。彼れが徳川幕府の専横苛酷の政治に憤激措く能はず、 加之、王朝の衰退其の極に達しては、彼れ寸刻と雖も座視するに堪えざるな り。彼れの学を以て反逆と称するは、未だ以て彼れの心事を識認する能はざ ればなり。彼れれの如く、高潔俊邁の士にして壮裂の気節を抱き、一身一門 を捨てゝ王道の復古を企つるの誠忠無類、古今に多く其比を見ざるなり。英 傑の芳魂今那辺にか彷徨せん。憶ふて爰に至れば、流涕の千行するを禁ずる 能はざるなり。方今道義地を払ひ、滔々たる世人殆んど岐路に迷ふ。此の時 に当り、若し先輩の行為、心術に鑑みる所あらば、豈時に志を立つるの覇柄 を得るものなしとせざらんや。                  ――(一九二五・一〇・一九)――



(そしり)

愍(あわれ)む










嘉言善行
立派なことば
と立派な行い。

『洗心洞箚記』(本文)
その83
 


「大塩平八郎を憶ふ」目次/その4

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ