一〇六 心太虚に帰すれば、則ち太虚は乃ち心なり。
●がいさい
然る後当に道と学との崖際なきを知るべきなり。夫
れ人の嘉言善行は、即ち吾が心中の善にして、而て
●
人の醜言悪行は、亦た吾が心中の悪なり。是の故に
聖人は之を外視する能はざるなり。斉家治国平天下
は、一として心中の善を存せざるはなく、一として
心中の悪を去らざるはなし。道と学との崖際無きこ
人
と見るべし。或曰く、子の説の如くば、則ち悪人の
かゝ
刑に罹るは、亦た聖人の心を刑するものか。曰く、
然り。是れ即ち吾が心の悪を去るの道なり。然り而
て悲まざるを得ざるなり、豈亦た歓喜すべけんや。
曰く、善人の賞に遇ふは、亦た聖人の心を賞するも
のか。曰く、然り。是れ即ち吾が心の善を存するの
ばう
道なり、然り而て喜ばざるを得ざるなり。豈亦た
しつ
嫉すべけんや。只だ人の善を嫉し、人の悪を歓喜
●
する者は、吾が心を以て我が物となす、乃ち一小人
にして、而て聖人の太虚の心にあらざるなり。然ら
ば則ち心なるものは、善悪混ずるか。曰く、心の体
は太虚なり、太虚は一霊明のみ、何ぞ善悪混ずるこ
●
とあらん。然れども気の往来消長は、則ち過不及な
●れいき
きを得ざるなり。只だ其の過不及は、便ち是れ気
の由つて生ずる所なり。而て未だ嘗て太虚の霊明を
し
損する能はざるなり。子試みに眼を仰いで天を看よ、
● な
則ち疑ひ亦た自ら解けん、奚んぞ吾れの弁を待たん
や。
心帰乎太虚、則太虚乃心也、然後当知道与学
之無崖際也、夫人之嘉言善行、即吾心中之善、
而人之醜言悪行、亦吾心中之悪也、是故聖人不
能外視之也、斉家治国平天下、無一不存心
中之善、無一不去心中之悪、道与学無崖際
可見矣、或曰、如子之説、則悪人之罹刑、亦
刑聖人之心者乎、曰、然矣、是即去吾心之悪
之道也、然而不得不悲也、豈亦可歓喜乎、
曰、善人之遇賞、亦賞聖人之心者乎、曰、然
矣、是即存吾心之善之道也、然而不得不喜
也、豈亦可嫉乎、只嫉人之善、歓喜人
之悪者、以吾心為我物、乃一小人、而非聖
人太虚之心也、然則心也者、善悪混焉乎、曰、
心之体、太虚也、太虚一霊明而已矣、何善悪混之
有、然気之往来消長、則不得無過不及也、只
其過不及、便是気之所由生也、而未嘗能損
乎太虚之霊明也、子試仰眼看天、則疑亦自解矣、
奚待吾之弁哉、
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●崖際。限り、
はて。
●太虚に暴風あ
る如し。
●吾が心、太虚
と一なるを知ら
ず。
●過不及。過ぎ
たると及ばざる
とはともに悪の
根原。
●気。悪気。
●天に雲霧あれ
ども日月の霊光
を損ぜず。
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