Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.4.12

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「大塩の乱関係論文集」目次


「天保の饑饉 大塩の乱」
その15

静岡市市史編纂課編

『静岡市史編纂資料 第3卷』
静岡市  1928 所収

◇禁転載◇

第一二章 天保の饑饉 大塩の乱 (15)管理人註


各地の暴
動

 大塩の乱は神経過敏の当時の社会を非常に騒がせたけれど、結局失敗に 終り、主謀者大塩は自殺して了つたのである。併しながら当時いろ/\の 風説が立つて、彼が遁走したと伝へられたので、厳しく捜索されてゐる。 而して彼の乱の後、これに似た暴動が諸地方に於て起り、当時の人心を愈々 恟々たらしめた観がある。■に平田篤胤の高足生田道満が越後柏崎に稍々 大なる徒党の主謀者として起ちしが如き、大塩平八郎と共に注意すべきも のであらう。而もこれ等の乱は何れも直接間接に大塩の乱に学びし所あり しなるべく、かく見来れば、大塩の乱は徒党小なりと雖も、決して軽々に 看過すべきではあるまいと思ふ。  それから大塩平八郎を目して社会主義者であると云ひ、又は勤王論者の 先鋒なりとするものもあるが、それは大塩にとつても甚だ迷惑なことであ らうと思ふ。彼は富者の財を奪つて、これを貧窮者に分たんとしたには違 ひないが、彼はこれによつて当時の窮民を救ふといふことを第一の目的と したので、根本的に社会制度を改めんなどは夢にも思はなかつたことであ らう。彼が乱をなすに至つた心情を窺ふには、檄文を紹介するのが便宜で あらうと思ふ。今左にその大要を挙ぐ。








恟々
(きょうきょう)
恐れおののく
さま

■は欠字


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