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扨御馬印を幾重にも人選して、真先に押立てさせ、それに一同従つて
真黒に押出す事にしたいといへば、山城守も如何にもと応じたが、何分
にも纏持は真先へ進む役割だから、誰とて持手になり手が無く、折節穢
さいは さ
多が詰合はせたのを倖ひ、已むを得ず、彼等に大小を帯させて纏を持た
けしき
した所が、彼等は大小を得た嬉しさに、臆する気色も無く、真先に進ん
だ、それで漸う人数一同、山城守も共々出馬に及んだが、下らぬ詮議に
時移り、最早や八ツ時(午後二時)過ぎであつたといふ。何で此様に山
城守が臆したかといふに、裏切者の註進によつて、自分が狙はれて居る
さう
と知れたからの相だ。
さきだ
山城守の出馬に先つて、堀伊賀守も、城代土井大炊頭利位殿より出馬
の命令があつたとて、それを東町奉行所に伝へた後、自分は一足御先に
といつて、京橋口与力広瀬治左衛門の同心三十人を先立たせて、先発し
よ
た迄は宜かつたが、島町筋を西に、御祓筋の辺迄来ると、恰も大塩党が
高麗橋を渡り掛けたので、白い旗が少しばかりチラホラする。御祓筋か
そ こ ど う
ら此処迄は大部分距離あり、確に四町はあるのだが、如何思つたか、伊
かしこ
賀守は『打てツ』と命じた、畏まつたとばかり、打つ者も打つたものだ、
むだだま
小さな三匁五分筒の、届く筈の無い虚丸を惜気も無く一斉に打放した、
けたたま あば
其気逞しい音に、伊賀守の馬が荒れ出す、伊賀守は乗り鎮め得ないで落
馬した、すると、それ大将が打たれたと思つてか、同心はパツと四散し
て仕舞ひ、伊賀守は取残されて致方無く塵を払つて起き上り様、御祓町
の会所へ辿り着いて休息すれば、治左衛門も京橋口へ退き、同役馬場左
十郎に委細を物語り、二人同道で、東役所の長屋前へ往つて、呆然して
立つて居たといふ事である。そして此騒は大塩党では一向知るらずに済
んだとは、飽迄滑稽だ。
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『塩逆述』
巻之三
その11
「堀ノ臣茂三
郎母ノ文」
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